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           吉澤  みつ さん
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 「青い猫」という自分史的人間模様を描いた本を手にしたのは十年前のこと。作者は「月見草の皿」「幻燈」と二冊の随筆集を持つ九十歳の文筆家、吉澤みつさん。黒石市の出身だ。

 娘を連れて再婚した相手が太宰治の最初の妻初代を姪に持つ人だったことから始まる不思議な人生舞台を、鋭い観察眼で切り取っていく作品は、類い希な記憶力と、泥沼の中から人生の真理を掬い上げ、文章に昇華させていく力に充ちていた。

 今年の三月、青森県の地元紙に写真家小島一郎氏の一族との思い出を綴ったエッセイが掲載された。執筆者は吉澤さん。百一歳の今も文筆活動を続けていた。百歳を超えてなお、その記憶力と感性、踊るようなペンの力が少しも衰えていないことに驚き、吉澤さんにぜひ会いたいと思った。

 吉澤さんは群馬県高崎市、榛名湖に近い老人ホームに暮らしていた。東京から特急とバスを乗り継いで四時間。山桜に包まれた施設のドアを開くと、着物姿の吉澤さんが迎えてくれた。

 「毎日、着物を着るのがその日最初のわたしの仕事。ずっと着物で通してきました」。さっぱりとしたもの言い、身体の向こう側まで透かして見えるのではないかと思われるほどの眼の力。「私の人生泥まみれ。赤鬼だったらまだかわいいけど、角の長い青鬼たちと出会いましたね」。

 淀みなく、これまでの人生を語ってくれた。黒石市元町で大きな商家の一人娘として過ごした幼いころ。うす暗い土蔵にこもり、読書をするのが好きだった子供時代。父は商談の際、幼かったみつさんを連れていったという。父が商談をする間、相手のしぐさや姿を観察することが身についた。それが人間観察の眼を育てることになったのだろう。

 随筆の中で「私の父はカマドケシ」と書いている。小学五年生のころ、小さな家に移った。「幼心にも斜陽していく家の様子が切なかった」と振り返るが、その原体験が「書く」ことへの執念の出発点だったのかもしれない。

 黒石幼稚園の教諭として過ごした日々。父親が決めた入り婿の暴力。離婚。太宰の妻初代を姪に持つデザイナーとの恋。再婚。絡み合い、巡り会った不思議なご縁を持つ人々のこと。

 五十五歳から本格的にものを書き始めた。弘前市出身の直木賞作家、今官一が主宰する同人誌「現代人」の同人として小説やエッセイを書き、県内の新聞にも歯切れの良い文章が幾度となく掲載されている。書くことによって自分を客観視し、周囲を見据えてきた。

 九十九歳で四冊目のエッセイ集「ふたりだけの桜桃忌」を出版している。書くことにこだわるのは何故? 「書き残さなければというど根性。生きていくエキスかしら」。今は見晴らしの良いホームの一室を書斎代わりに、黒石市のロシア文学者で親戚でもある鳴海完造の素顔について書いている。書くことに挑むその情念のようなもの。

 百五歳のお祝いの会には是非いらしてね!にっこりきっぱり言い切った。津軽のじょっぱりでしょうか?と言う私に「ねっちょ深いのね」と大きな笑顔を見せてくれた百一歳。万歳。
                                 
                                          (文責 清水典子)


 

           瓜田 修子 さん
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 「青い猫」鶴田町出身埼玉県在住のピアノ弾き&パフォーマー
瓜田修子ちゃん
自由自在に音楽を楽しみ
音と一緒に元気と笑いを届けるパワフルな女性です。

11月12日の「和菓子で描く津軽の四季」コンサートでは
今回、編曲とピアノ演奏を披露します。

一昨年、藤崎町で開いたコンサートとは
またひと味違った
アグレッシブで新たなエネルギーに満ちた
ものとなるはずです。

津軽の冬から春
夏から新涼の秋
そして再びの冬へ
画と朗読とピアノによって
津軽の一年を50分で体感していただきます。

そんな修子ちゃんを紹介します。

●スリムな身体のどこにそんなパワーが潜んでいるのだろう。
Tシャツにジーンズという軽やかな服装、飄々とした雰囲気の修子さんだが、
ピアノの前に立つと変身。エネルギッシュな「踊るピアニスト」となる。

 連弾ユニット「しゅ☆みいず」では一台のピアノを前に、相棒の「ぱらら
ん・みっちゃん」と絡みながらピアノを弾き、タップを踏み、楽しいステージ
を繰り広げ、来場者の笑顔を引き出す。
「とにかく音楽を楽しんでほしい。笑ってほしい」。多いときは月に十五回、
老健施設や区民広場、児童館などで演奏する。
 おおらかで軽やかで自由。そんな演奏活動を始めたのは五十歳になってから
だ。

●鶴田町で生まれ、弘前大学附属小学校、中学校を卒業し、国立音大附属高校
に進学した。「井の中の蛙が大海原に出た感じで、劣等感の塊。田舎育ちなの
で知らないことばかり。もう家サ帰ると荷物をまとめたこともありました。
寮では一人二畳のスペースが与えられ、マイピアノを持ち込んで防音装置もない
所でガンガン弾く。劣等感を抱えつつも同じ釜の飯を食った仲間との寮生活は、
人生の財産になりました」。

 日々練習あるのみ。朝一時間、学校から戻って一時間半、夕食後に三時間、
ピアノ漬けの日々だった。津軽に帰省すると先生から「ピアノがなまる」と言
われ、津軽弁は使わず、出身地も内緒にした。国立音大ピアノ科三年生の時、
クラシックはもう嫌だと思ったという。楽譜通りに弾くのは嫌だ。そんな時、
作曲科に在籍する友人と連弾をし、楽譜のない世界と出会った。将来自分が
本当にやりたい音楽のために、今はクラシックを勉強しなさいとアドバイスして
くれた先輩の言葉を胸に、基礎を学び、エネルギーを蓄えようと心を定めた。

 卒業後は故郷に戻ってほしいという両親の思いを振り切り、ビクターの
音楽教室の講師、東京でピアノ教室を開き、演奏をするなど音楽と関わって来た
が、ユニークな友人たちとの出会いが修子さんをパフォーマーに変えた。

 「友人にエンジェルくみちゃんという歌い手がいて、その姿を見て、もっと
自由に自分を表現していいのだと気づきました。彼女に、今度生まれ変わったら
タップダンスをやりたいと話すと、今やりなさい!と言われ、五十歳の足習いを
始めました」と笑う。

 四年前、「宇宙(そら)」という和太鼓のユニットと共に、鶴田町をはじめ
津軽各地で演奏を披露した。「津軽っていい所だね。修子ちゃん、津軽弁を話して
いる時が一番エネルギッシュだよ」。仲間たちにそう言われ、驚いたという。
青森を素敵だと言ってくれる人がいる!「演奏会を始めて、ふるさとと再会しま
した」。

 東日本大震災後、和太鼓、笛、バンブーサックス、歌、大道芸、なんでもこ
なす仲間四人と共にユニット「結」を結成した。オペラ、イタリア歌曲、
ベートーベンから美空ひばりまでジャンルは何でもあり。修子さんのオリジナル曲
「ねぶたWAVE」も演奏し、めちゃくちゃ明るいエネルギーを放出する。
被災地にはなかなか行けないけれど、隣のあなたを元気にしたい。笑顔を届けたい、
そんな思いからの出発だ。

 「笑いが一番元気になる。音楽で笑って、楽しくなってもらえればいいな」。
八月には弘前市の藤田記念庭園洋館などで演奏し、笑顔と幸せ時間を届けた。
自由自在に楽しみ、みんなに音楽と笑いを届ける。そんなピアノ弾きがいたっ
ていいじゃない。今はそう思っている。

                                                       (やすらぎ9月号掲載 文責 清水典子)



 

 


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