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           瓜田 修子 さん
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 「青い猫」鶴田町出身埼玉県在住のピアノ弾き&パフォーマー
瓜田修子ちゃん
自由自在に音楽を楽しみ
音と一緒に元気と笑いを届けるパワフルな女性です。

11月12日の「和菓子で描く津軽の四季」コンサートでは
今回、編曲とピアノ演奏を披露します。

一昨年、藤崎町で開いたコンサートとは
またひと味違った
アグレッシブで新たなエネルギーに満ちた
ものとなるはずです。

津軽の冬から春
夏から新涼の秋
そして再びの冬へ
画と朗読とピアノによって
津軽の一年を50分で体感していただきます。

そんな修子ちゃんを紹介します。

●スリムな身体のどこにそんなパワーが潜んでいるのだろう。
Tシャツにジーンズという軽やかな服装、飄々とした雰囲気の修子さんだが、
ピアノの前に立つと変身。エネルギッシュな「踊るピアニスト」となる。

 連弾ユニット「しゅ☆みいず」では一台のピアノを前に、相棒の「ぱらら
ん・みっちゃん」と絡みながらピアノを弾き、タップを踏み、楽しいステージ
を繰り広げ、来場者の笑顔を引き出す。
「とにかく音楽を楽しんでほしい。笑ってほしい」。多いときは月に十五回、
老健施設や区民広場、児童館などで演奏する。
 おおらかで軽やかで自由。そんな演奏活動を始めたのは五十歳になってから
だ。

●鶴田町で生まれ、弘前大学附属小学校、中学校を卒業し、国立音大附属高校
に進学した。「井の中の蛙が大海原に出た感じで、劣等感の塊。田舎育ちなの
で知らないことばかり。もう家サ帰ると荷物をまとめたこともありました。
寮では一人二畳のスペースが与えられ、マイピアノを持ち込んで防音装置もない
所でガンガン弾く。劣等感を抱えつつも同じ釜の飯を食った仲間との寮生活は、
人生の財産になりました」。

 日々練習あるのみ。朝一時間、学校から戻って一時間半、夕食後に三時間、
ピアノ漬けの日々だった。津軽に帰省すると先生から「ピアノがなまる」と言
われ、津軽弁は使わず、出身地も内緒にした。国立音大ピアノ科三年生の時、
クラシックはもう嫌だと思ったという。楽譜通りに弾くのは嫌だ。そんな時、
作曲科に在籍する友人と連弾をし、楽譜のない世界と出会った。将来自分が
本当にやりたい音楽のために、今はクラシックを勉強しなさいとアドバイスして
くれた先輩の言葉を胸に、基礎を学び、エネルギーを蓄えようと心を定めた。

 卒業後は故郷に戻ってほしいという両親の思いを振り切り、ビクターの
音楽教室の講師、東京でピアノ教室を開き、演奏をするなど音楽と関わって来た
が、ユニークな友人たちとの出会いが修子さんをパフォーマーに変えた。

 「友人にエンジェルくみちゃんという歌い手がいて、その姿を見て、もっと
自由に自分を表現していいのだと気づきました。彼女に、今度生まれ変わったら
タップダンスをやりたいと話すと、今やりなさい!と言われ、五十歳の足習いを
始めました」と笑う。

 四年前、「宇宙(そら)」という和太鼓のユニットと共に、鶴田町をはじめ
津軽各地で演奏を披露した。「津軽っていい所だね。修子ちゃん、津軽弁を話して
いる時が一番エネルギッシュだよ」。仲間たちにそう言われ、驚いたという。
青森を素敵だと言ってくれる人がいる!「演奏会を始めて、ふるさとと再会しま
した」。

 東日本大震災後、和太鼓、笛、バンブーサックス、歌、大道芸、なんでもこ
なす仲間四人と共にユニット「結」を結成した。オペラ、イタリア歌曲、
ベートーベンから美空ひばりまでジャンルは何でもあり。修子さんのオリジナル曲
「ねぶたWAVE」も演奏し、めちゃくちゃ明るいエネルギーを放出する。
被災地にはなかなか行けないけれど、隣のあなたを元気にしたい。笑顔を届けたい、
そんな思いからの出発だ。

 「笑いが一番元気になる。音楽で笑って、楽しくなってもらえればいいな」。
八月には弘前市の藤田記念庭園洋館などで演奏し、笑顔と幸せ時間を届けた。
自由自在に楽しみ、みんなに音楽と笑いを届ける。そんなピアノ弾きがいたっ
ていいじゃない。今はそう思っている。

                                                       (やすらぎ9月号掲載 文責清水典子)



 

 


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