フリーアナウンサー      

平成21年3月3日

若山 多香子さん

藤崎町出身東京在住

 「へばの〜」。 
やさしく晴れやかな声が耳に心地よく響きます。 美しい共通語としなやかな津軽弁、バイリンガルの彼女は青森県人会や県出身者の集いで司会役として欠かせない存在です。
  おっとりした雰囲気と心を安らがせてくれる笑顔から「にこさん」の愛称で親しまれているのが、フリーアナウンサーの若山多香子さん。
 
 平成11年から、RABのラジオ番組「長寿セミナー」のインタビュアーとなり、森村誠一、藤田弓子、日野原重明さんなど中央で活躍する著名人から普段は誰にも見せない顔を引き出してリスナーを楽しませてくれています。


 「自分の人生って限られているけれど、いろいろな人の人生に触れ、その道を極めている人たちからエッセンスをもらえるすごく贅沢な仕事」と話して、愛称通りのにこやかな表情を見せてくれました。

 その笑顔で相手の心の鍵を開けてしまう、天賦の才の持ち主。キーワードを素早く見つけ、的確な言葉を投げかけて取材相手の心の内に眠る言葉を引き出していきます。 何でも受け止める器の深さと長年の経験。 それらが名インタビュアーを誕生させたと言っていいでしょう。 現在は東京を中心に仕事をし、数ヶ月に一度、故郷に顔を出します。

 今でこそ森に帰り、岩木山を目にするとほっとすると言いますが、「子供のころは狭い故郷がいやだった」と苦笑い。

 祖父は藤崎町で「カネヨ」という屋号のリンゴ移出業を営んでいたので、どこへ行っても「カネヨの多香子ちゃん」と呼ばれていました。 誰もが知り合い。 みんなが知っている。 亡き母親は「子ども達には好きなことをさせたい」と東京への進学を応援してくれました。

 大学時代に籍を置いた「放送研究会」が多香子さんの人生を変えました。 仲間と一緒にラジオドラマをつくる中で、いつかラジオの仕事がしたいと考えるようになりました。 当時、テレビの華やかさに目を向ける人が多かった中、多香子さんは違いました。

 「ラジオってものすごく想像力を刺激する。 テレビではご覧の通りで済むことが、ラジオでは、アナウンサーの言葉ひとつでリスナーたちがさまざまな想像をして、世界が広がっていく。 そういうラジオの仕事がしたかったのです」。

 卒業後森に戻り、「RAB青森放送」に入社。 そしてラジオ番組「コロンビア・ハイライト」の多香子お姉さんとしてたくさんのファンの心をつかみました。

 結婚後はフリーとなり、FM森で「これでも川柳おれは岸柳」「FMランチクラブ」など人気番組を持っていましたが、脱サラした夫と共に上京。 六本木で「笑顔亭」を開くという思いもかけない人生が展開していきました。

 初めて経験する店の切り盛り。 それでも時間を作ってはラジオの仕事を続けた多香子さん。 東京にいる県人をゲストに招き、東京八重洲にある県のビジネスプラザでインタビュー番組を収録し、青森県内に向けて放送するという仕事の中で、
故郷森を強く意識するようになっていったといいます。

 「今改めて、故郷森の良さを再確認しています」。 現在は東京の藤崎町出身者でつくる「藤崎会」の副会長も務めています。 マイクの前では共通語ですが、津軽の仲間と出会えば、「んだのさ」。とたんに懐かしい津軽言葉が飛び出してきます。

 「都会のひとは田舎というものにとても温かいイメージを持っていると、東京に来て分かりました。 地元にいると気づかない田舎の良さ。 森がどんなに素晴らしいところか伝えていくのが私たちの役目だと思っています」。

 昨年、今年とFM青森の青森県応援番組「アオモリズム」のパーソナリティーを務め、長時間にわたり、青森県内外のゲストと一緒に、青森談義を盛り上げました。 これからも青森の魅力を県内外に発信していきたいと語ります。

 故郷のお母さんに送ってもらった津軽塗の茶器セットを眺めては、故郷に思いを馳せています。 「いつか津軽塗の似合う津軽女になれたらいいな」。 東京の暮らしの中で、森を身近に感じていきたいと多香子さんは近頃思い始めています。

 

              
 

 

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