「太宰治の作品世界を声で伝える」

                                               
         青森市出身・朗読家
  

       中村雅子さん
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   昨年五月、神楽坂にある「イワト劇場」で行われた、夏目
 漱石の朗読劇「明暗」に出演した中村雅子さんの朗読に圧
 倒された。 俳優のように動きながら、本を片手に朗読する
 のだが、機関銃のように、間断なく観客に向かってうち放た
 れる言葉の数々。 少しのよどみも、迷いもなくバリバリと。
 文章が声に乗って押し寄せ、滝に打たれたように全身が言
 葉の洪水に包まれ、飲まれていく。 こんな朗読もあるのだ
 と目から鱗が落ちた。 中村さんは今、多彩な朗読のスタイ
 ルに挑戦している。

  元福島テレビアナウンサーの中村さんが朗読と出会った
 のは十年ほど前。結婚し、子供を出産し、何かをしたいとア
 ンテナを張り巡らしていた中、巡り会ったのが幸田弘子さんの朗読だった。

 女優で舞台朗読の第一人者として活躍する幸田さんが披露した樋口一葉の「大つごもり」を聴いて、雷に打たれたように感じたという。 「朗読でこんなに人を感動させることができるのだ」。初めての体験だった。

 朗読の勉強をするなら、最高の師匠につきたいと考え、幸田さんが開く源氏物語を原文で読むという講座に飛び込んだ。 その傍ら、幸田さんから朗読を学ぶグループ「幸風」にいつか入りたいと、空席ができるのをじっと待った。 相手の動きを見て、次の一手を考える、理論派だ。

 二〇〇五年公演から「幸風」の舞台に立った。 その時選んだのが太宰治の「黄金風景」。 片っ端から太宰の小説を読み、最後にほっとする作品を選んだ。 登場人物の台詞を津軽弁にしようと考えたのは中村さんのオリジナル。 常にチャレンジを試み、この作品は中村さんの十八番となった。

 「幸風」で朗読の基礎を叩き込まれる中、「あなたはきれいに読みすぎるから、ひっかからずに抜けていってしまう。 そのきれいさを打破しないといけないと言われ続けました」と苦笑する。 自分の感情を殺し、冷静に客観的に伝えましょうと福島テレビのアナウンサー時代に教えられたことが身についていたのだろう。 これまでの自分を壊すことが課題となった。

 転機が訪れたのは太宰治生誕の年だ。 太宰の墓がある三鷹市の「太宰治文学サロン」に「私も太宰の朗読をしています」と伝えたところ、ほどなく依頼が来て、「黄金風景」と津軽弁からなる「雀こ」を同サロンで披露した。 「その時、津軽弁の魅力に改めて気づきました。 津軽弁で読むと素の自分、ありのままの自分が出て、自然体でゆったり表現できます。 DNAがぴったり来るのでしょうね」。 太宰作品を通して、お国言葉の魅力に開眼したのだった。

 中村さんは青森高校を出て、中央大学法学部時代は弁護士を目指し、四年間標準語で通したという。 「決して東北出身と気づかれないように振る舞っていたのですから、おかしいでしょう」と中村さん。 そんな彼女が今は津軽弁の朗読を「おはこ」にしている。

 東日本大震災、福島原発の事故がきっかけとなり、福島や青森とのご縁が深まった。 「福島テレビに勤務中、県内ほとんどの市町村を取材して回りました。 原発事故の被害を受けた場所はみな馴染みのある所ばかり。 私のできることは語ったり、朗読したりすることだけですが、何かしたいと思いました」。

 以来、さまざまな場所でチャリティー公演を行ってきた。 この夏は東京で津軽弁による朗読会を企画。 太宰作品や高木恭造の「まるめろ」などを青森出身の仲間たちと一緒に朗読し、収益は被災地に送ろうと準備中だ。

 昨年は県西北地域県民局が募集した「津軽」語りストのメンバーの一員として斜陽館での朗読を果たした。 この六月十九日、太宰生誕の日にはメンバーと一緒に斜陽館で「走れメロス」と「黄金風景」を披露する。

 「太宰作品の朗読といったら中村と言ってもらえるようになれたらいい。 ほのぼのと心があたたかくなり、笑顔になって帰ってもらえるような時間を届けていけたらいいですね」。 次は旧制弘前高校時代に太宰が下宿した、弘前市の「太宰治まなびの家」で太宰作品の朗読をするという夢をひっそりあたためている。


                                          (文責・清水典子)




 

 


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