きみさんの朝は早い。四時半には起きて、精進料理を作り出す。取材の日もぜんまいの白和え、煮物、酢の物、寒天寄せなどのおぜんが仏さまにあがっていた。そのあと壇家四百の位牌(いはい)堂の掃除をし、花を生ける。「お参りに来た人が、おぜんがあがっていて良かった、花があがっていて良かったとよろこんでもらえるようにね」と喜美子さん。
芸術家になった気分で毎日の精進料理を作るのだと言う。「五色使って彩り美しくね。ごっつぉうっていうのは目で見てきれいでなくっちゃ駄目。鼻歌うたいながら作ります。楽しく作らないと、おいしくないでしょ」。
人に物をあげるのが大好きだという。「ほめれば何でもあげてくるの。『これ、けらって』帯やら腰巻きまであげてきて、病気だって笑われるの。人に物食べさせるのも大好きで、人がおいしいってよろこんでくれると、なんとなくホノラっとなって」。
きみさんの口ぐせは「これ、食べなさい」。顔を見れば、お腹すいてないか、漬物どしてらと気遣う。きみさんは四歳から十一歳まで、深浦の母親の実家で育てられた。「何となく遠慮して、食べたくても食べたいって言えない子供時代があったので、食べなさいって人に言うのが好きになっちゃったの」。
毎晩の米とぎはきみさんの仕事。米を計る時、最後のひと盛りは大盛りにする。「多めに炊けば、誰が来てもまま食ってけって言えるでしょ。何はなくても思いやり、ですよ」。
六十七歳で夫を亡くしてからは、三男三女の子供と助け合いながら寺を支えてきた。「文化財を守るというのは大変です。寒くても直せない。本堂も庫裏(くり)も障子一枚だけ。冬は凍みます。火の始末に一番気を遣いますね。自分の物はいいけど、国からの預かり物ですから、いつも気掛かりです」。
にこやかなきみさんだが、昨年は辛い一年だった。弟の小館衷三さんを亡くし、百日過ぎないうちに、長男を亡くした。「小さいころからチョコレートが好きな子で、大人になってからはわたしにいつもチョコレートや飴を届けてくれて。母さんはいろんな所に講演にいくから、その時みんなにあげればいいよって。死ぬ二週間前にも病をおして口寂しい時に食べてくださいってチョコレートを買ってきてくれました」。
今年、長勝寺の庭にチョコレート色のコスモスが咲いた。きみさんが岩木町まで行って求めてきた種から咲いたものだ。きみさんは万感を込めて「コスモスに母が涙の一雫(しずく)」という俳句を作った。
それでも毎日楽しいですよと穏やかにほほえむきみさん。「だんだん、残りの日が少なくなってくるから一日一日大切に生きないとね。経験は大した薬になりますよ。人が嫌な事チクリと言うでしょ。あれは注射だと思っているの。人に苦いこと言われれば良薬だって思うの。そうすればア、そうかと直るでしょ」。
「かかあって言うのは慈しみのある人のことなんですよ。えのかかあというのは尊敬語。お経ではカアカアとは慈しむ、笑うの意味なんです」。きみさんの話は尽きない。「もうじき曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花が咲きますよ。またそのころ来なさいね」。また病気が出たと笑いながら、お菓子を山ほど持たせてくれた。
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