詩人・緑の笛豆本の会主宰
蘭 繁之さん
詩・小説随筆を書く
川村 慶子さん
平成8年8月31日
「夫唱婦唱」で お互いの個性伸ばす
 「夫婦つれづれってタイトルには合わないわね。うちは夫婦それぞれ。夫唱婦随でなくて夫唱婦唱。それぞれが好きな道を歩いています」。いかつい体の蘭繁之さん(76)にしっとりとした和服姿の慶子さん(74)が寄り添う。

 詩人であり版画家、緑の笛豆本の主宰者である個性派人間の蘭さん。慶子さんは二十代のころから小説を書き初め、現在も「柵」「むうぞく」の同人として詩、随筆と多方面にわたり創作活動にいそしむ。作家同士のご夫妻だ。それぞれ、日常生活でもペンネームを通し、実質上、夫婦別姓をとっている。

 「同じ趣味の人間が一緒になるというのは大変ですよ。ケンカばっかり」と蘭さんは笑う。結婚して十八年、慶子さんは初婚だった。「五十を過ぎて、しょっぱい川(津軽海峡)をひとまたぎするのは勇気がいりました」と北海道生まれの慶子さんはほほえむ。

 東京の同人誌「青宋」の紙面で蘭さんと慶子さんは知り合う。互いに名前だけ知っているという期間が十年ほどあった。第一印象を尋ねると「めったにないお顔。たこ絵のようというか津軽土着の縄文人といった顔でしょ。いいと思いましたね」と慶子さん。「笑い顔が良かったね。笑顔に引かれたんだな。今はオニだけど」と蘭さんはニヤリ。

 結婚してから慶子さんはしまったと思ったという。「この人には二人、女性がいたんです」。息を飲むわたしに「それはおばあちゃんと娘さん。間に立ったこの人は大変だったみたいですよ」と続けた。苦労もあったと想像するが、慶子さんは語らない。

 「夫唱婦唱」の夫婦と言いながら、日本詩人クラブの大会、民芸協会の大会へと日本全国どこでも二人で出掛けて行く。同人誌の合評会にも一緒に行くが、互いの作品に口出しはしない。「蘭の作品はいつも読んでいます。文学者としても先輩」と言う慶子さんに対し、蘭さんは「あちらのは読んだって気にくわないといけないから、読まないよ」と照れる。

 蘭さんはNHKのみんなの歌で歌われ好評だった「雪の音」のような叙情詩を書く反面、批判を込めた社会派の詩も書く骨太の詩人だ。戦争中は書いた詩が治安維持法に触れ、警察に引っ張られたこともあった。「この人は愚直という言葉がぴったり。ロマンチストであり、理想家。頑固でうまくやれない人なんです」と慶子さんは言うが、そこに惚れ込んだのが慶子さん自身なのだろう。

 「食いものでケンカしているよ。津軽のしょっぱい味じゃないんだもの」と蘭さんが言えば、「言葉はお国の手形。食事も全然違うんですよ。六十歳だから我慢ができた。二十代、三十代だったら飛び出してたかもしれませんよ」と笑いながら慶子さんは言い返す。ほほえましい口ゲンカにペンを置いて聞き入った。

 蘭さんは「美術館に入るような本を作りたい」と一九六五年から毎月豆本を作ってきた。一回に三百冊。装丁は蘭さんが版画を彫り、自ら手刷りで仕上げている。版画彫りは力仕事の上、目を酷使する。慶子さんは蘭さんの体を心配し季刊を薦めるが「豆本は最後までやるよ。やめてくださいなんて言えば家出してホームレスになるから」と蘭さんはごんぼを掘る。

 「二十代のころに書いた作品をまとめるのがわたしの夢」と話す慶子さんに、「ぼくがこんな厚い本を出してあげるよ」と蘭さんが脇から口をはさんだ。


わにもっこ企業組合理事長
山内 昭光さん
ペンション「ひばのくに」スタッフ
山内 まつゑさん
平成8年9月21日
「ゆっくりのんびり 楽しみながら歩む」
 「こんなびっこたっこ夫婦でいいの? 」とまつゑさんの声。「夜中でもいつでもこの豪傑笑いだもの。ビクッてすらの。隣近所ってもの考えねば」と昭光さん。「一人繊細な人間がいて、一人繊細でないんだもん。この調子でいっつもお説教されてるの」とまつゑさんは豪快に笑う。山内昭光さん(52)、まつゑさん(48)は楽しくにぎやかなご夫婦だ。

 結婚して二十九年。「十日も顔を合わせなくても、一目見ればお互い何を考えているかすぐ分かる」と言うまでになった。昭光さんは「わにもっこ企業組合」の理事長、まつゑさんはペンション「ひばのくに」のスタッフとしてそれぞれの持ち場で頑張る。

 まつゑさんが嫁に来たのは十九の歳。嫁に来てから成人式に行ったという。どこで知り合ったの? と聞けば「定かでないんだよね」「記憶にない」という二人。当時は村の「ばさまたち」が仲人の役目をしていた。「あそこの息子にはこういうタイプの娘がいいとか考えてくれてね。そのばさまたちが一生懸命走って決めてくれたのさ。どんだってんで、まいねとも言えないはんでいいってなもんだね」と昭光さん。

 こんな美人の奥さんつかまえてまいねもないでしょと言えば「当時はまだ磨かれてなかったからね。ここさ来て、いろいろ苦労して磨かれたんだびょん」と昭光さんは言ってのける。結婚式は山内家で行われた。まつゑさんは花嫁衣装を着て座敷に座り、昭光さんは縁側の端で小さくなっていたという。

 「嫁は家に嫁いできたんで、わたしに来たわけでないから、花婿の居場所はないのさ。ワはネクタイもしないでウロウロするばかりだった」と昭光さんは笑う。「かちゃましくってさ、何これって感じ。山の人たちただ飲んで、酒飲みが結婚式の主役だった」とまつゑさんは振り返る。

 おばあちゃん、お母さん、お父さん、妹さんと若夫婦六人の生活。農業も大家族の暮らしも初めてのまつゑさんだったが、すぐに馴染んだ。「若くて、知らないっていいもんだね」と笑い飛ばす。

 出稼ぎに行かずにすむよう、山の木を活用して何かできないかと一九八九年、昭光さんは「わにもっこ企業組合」を仲間と作った。「せっかく早瀬野まで来てもらうのなら、休憩所や宿泊所も作れば」の声にペンション「ひばのくに」も併設した。ペンション経営のイロハも分からないまつゑさんだったが昭光さんの「やってるうちに分かってくらね」の一言でスタート。「だーれがこんな山奥さ来るべかって思ったら、泊まりに来る人いるんだもんね。もう髪の毛おったつほどびっくりした」とのんびり屋のまつゑさんはまた豪快
に笑う。

 二人の朝は早い。まつゑさんは五時には起きて畑へ。「ここで採れたものをしっかり食べさせる」がモットーなのでペンションで出す料理の材料はまつゑさんが採ってきた山菜や育てた野菜ばかり。昭光さんは朝早くに山を見回る。昭光さんの「今朝は山ウサギのまいこ(赤ちゃん)に会ったよ」の声に、「山の神の日には山ウサギの皮むいて、ナタでぶつぶつ切って食べるんだけど、あれはおいしいよね」とまつゑさんの声が弾む。

 「ゆっくりのんびり楽しみながらやっていこう」が二人のやり方。「山はいいよ。自分の位置がちゃんと分かる。自分がどこにいればいいかが分かるね」と昭光さんが言えば、「自然に逆らわずに生きていきなさいよって風や星が教えてくれるね」とまつゑさんは応
じた。
仕出しの「恵比寿屋」代表取締役
遠間 善弘さん
取締役支配人
遠間 敏子さん
平成8年11月9日
「性格は好対照の二人 連携プレイーで商売繁盛」
 「三十年間、朝から晩までずっと一緒の夫婦です」と二人声を合わせる。敏子さんは仕出しの「恵比須屋」のおかみとして表を受け持ち、善弘さんは社長として裏を固める。この二十六日で結婚三十年目を迎える二人は二人三脚のオシドリ夫婦だ。

 二人が知り合ったきっかけはちょっとオモシロイ。場所は青森市内の病院。その病院では元気になった入院患者が手術を終えた患者をタンカーで病室まで運ぶことになっていた。痔(じ)の手術で入院した敏子さんをタンカーで運んだのが先に痔の手術を受けていた善弘さん。「全裸?状態のわたしを運んでくれたのがきっかけでした」と二人で大笑いする。

 あしたは退院という日、敏子さんの病室に紙ひこうきが飛んできた。そこには善弘さんの字で「これからもお付き合いして」と書かれていたという。「そんなこと、記憶にないなあ」ととぼける善弘さん。恵比須屋を継ぐことに決まっていた敏子さんとサラリーマンだった善弘さんがめでたくゴールインしたのはそれから二年後。善弘さんの粘り勝ちといったところだろう。「両親はあんな病院に入院させるんじゃなかったってずっと言ってました」と敏子さんは懐かしそうに振り返る。

 二十一歳で念願だったサラリーマンの妻になった敏子さんだが、転機はすぐにやってきた。十勝沖地震で店が大きな被害を受け、がっくりときた敏子さんの両親を見て、善弘さんが婿に入る決心をした。「無我夢中の二十七年でした」と善弘さん。当時は魚屋と仕出しを少々営んでいただけだった恵比須屋の商売を大きく広げたのは二十九歳で社長業を継いだ善弘さんの堅実さと根っから明るい敏子さんとの連携プレーのたまものだろう。

 「わたしは思いつきで動くタイプ」と敏子さんが言えば、「ぼくは石橋をのだばるタイプ。丈夫な石橋でも手と足を付けてそろそろと渡らないと駄目」と言う好対照の善弘さん。「だから安心して付いていけるのよ」と敏子さんは善弘さんに笑い掛ける。

 順調に業績を伸ばしてきた恵比須屋にも試練はあった。十年ほど前に食中毒を出し、一からの再出発をした。「こんな時こそ頑張らなくっちゃと社員一丸となって信用回復に努力しました」。その結果、食品衛生に積極的に取り組んでいることが評価され、この十月には県内の仕出し屋で初めて「厚生大臣表彰」を受けた。

 「仕出し屋なんて華やかな商売じゃないし、仕出し屋かぁなんて言われたりもしますが、今回の受賞で胸を張っていいよと社員に言いました」と善弘さんも胸を張る。落ち着いた雰囲気の善弘さんは趣味が多彩。夜は部屋にこもって独り油絵を描く。川柳もたしなむ善弘さんが作ったのは「どちらかが無口であって良い夫婦」。言い得て妙だ。

 「こう見えて結構亭主関白」と言う敏子さんに善弘さんは「婿養子という立場もありますからね、頑張って関白しているんですよ」とおどける。「日曜日には家族で過ごせる平凡な暮らし、そんなささいなことがわたしの夢。ゆったりのんびり孫と過ごしたいな」と敏子さんが言えば「あんたサ合わねえな。じっとしていろってもそれは無理な人でしょ」と善弘さんが楽しそうにちゃちゃを入れた。
「なちゅらる」
代表取締役社長
山口 正春さん
「花のや」主人
山口 きみ江さん
平成10年7月18日
「結婚25年の節目 新婚気分味わう」
 「この春から新婚に戻りました」。まゆを下げ、満面笑みを浮かべる正春さんに、楚々(そそ)とした桔梗(ききょう)の花のようなきみ江さんが寄り添う。

 今年の春、山口さん一家は家族四人がそれぞれ、新しいスタートを切った。二人の娘さんは学校を卒業して就職。家を出て独立した。

 子供の自立を機に、それまで専業主婦として家事、子育てに専念してきたきみ江さん(48)は「五穀豊穣旬どころ『花のや』」の女主人に変身。時を同じくして、正春さん(51)は企画集団「なちゅらる」を設立した。「五十歳を越えて、今までと違った生き方をしてみたいなと」と正春さん。

 六月十日、二人は二十五回目の結婚記念日を迎えた。「むっと来る六月十日。むっとくる夫婦なんてタイトルはどうかな? 」と駄じゃれを飛ばす正春さん。隣できみ江さんが「あなたったら、もう」と笑いをこらえる。

 正春さんは今まで培ってきた人脈を生かし、商品開発やアドバイス、デザイン企画などを行い、人と人を結ぶビジネスを始めた。「地場のものを生かした商品を作る。いいものを作ってブランドを確立する。村興し、町興しに力を貸したい」と力を込める。

 今までの人生にピリオドを打ち、新しい仕事を始めるのは勇気がいる。きみ江さんはそんな正春さんに「子供も育ったし、好きな人生歩んでもいいんじゃない」とそっと肩を押した。「いい理解者がいて良かったですよ」と目じりを下げる正春さん。

 一方、きみ江さんは開くべくしてお店を開いた感がある。正春さんの人柄を頼って、自宅には昔からたくさんの友人が集まってきた。「山ちゃんのところへ行けば、うまいもんが食べられるよといっぺんに三十人ぐらいのパーティも開いていました」と正春さん。

 「炊事、洗濯はわたしの仕事って思ってきた。でもそれが商売になるなんて」ときみ江さんはにっこり。「庭を眺めながら、おいしいもん食べて、ゆったりと心和んでもらえたら」。

 「花のや」は「五穀豊穣旬どころ」の名の通り、地元の旬の食材を使った家庭の味を楽しんでもらおうというお店。「地どり舞茸ごはん」や一尾のうま味が丸ごとしみた「鯛めし」、黒豆や大豆がたくさん入った「豆ごはん」など心と体に優しいメニューが自慢。枝豆のスープはさわやかな風味で滋養たっぷり。持ち帰り用に、小豆の香りが心地良いおはぎや炊き込みごはんも用意されている。

 自宅を改装した店構えなので、山口家の客人のようなゆったりとした気分を味わうことができる。「花のや」のコンサルティングは、もちろん正春さんの仕事。「費用もらわなきゃな」「エッ?! 何か言った? 」と丁々発止。外では「やり手」のイメージの正春さんだが、「家では静かで、お人形のよう」ときみ江さん。野の花の咲く優しい風情の庭を眺めながら、きみ江さんの手料理を食べ家でゆっくりと過ごすのがいいアイデアを生み出す源と見た。

 「細かいところまで気配りできる人」と正春さんはきみ江さんを評する。今までは正春さんを支える役目だったきみ江さんだが、これからはお互いがそれぞれの支え。「互いに良き理解者でありたいですね。そして夫婦のあり方もやっぱり『なちゅらる』がいいな」
。正春さんがびしっと決めた。

二人で絵本を翻訳した
城田 安幸さん
(弘大農学生命科学部助教授)
城田 あい子さん
(りんごのこころ、りんごの
きもちプロジェクト事務局長)
平成10年9月19日
「おしゃべりが楽しい 友達夫婦」
 ポッターおばさんちの小さな庭で起きたとっても不思議なできごとが「マジック・アップル」というすてきな絵本になった。翻訳したのは城田あい子さん、安幸さんご夫妻。ページをめくると、やさしいホワイトベージュの紙にぽつぽつと小さいな点。「これはね、リンゴの種や皮なんですよ」とあい子さん。

 この本はジュースを絞ったあとのリンゴから生まれた紙でできている不思議な絵本。思わず鼻を近づけて、「くんくん」したくなる人も多いとか。二人がこの絵本に出合ったのはもう二十年も前のこと。イギリスの本屋の絵本コーナーで真先に目に飛び込んできたのが「マジック・アップル」だった。

 それから毎夜、三人の子供たちが寝入る前に読んで聞かせてきた絵本。「いつか何かの形で翻訳本を出したいね」と考えてきた二人。二十年後、「リンゴの紙で出来た絵本」として日本でデビューした。六月に第一刷を発行し、八月には第三刷が出、すでに一万冊を完売。全国からのファクス、はがきなど反響も二百件を超えた。

 「本を開くと、リンゴの香りが漂ってきました」「リンゴの魔法に掛かりました」などの感想と共に、「未来の子供たちのために、種まきのお手伝いがしたい」という言葉が添えられている。「リンゴの紙は、紙の材料になる森や林の木を守ります。そしてリンゴの紙の収益は森の保護と世界の子供たちのために役立てます」と安幸さん。

 あい子さんはこの活動「りんごのこころ、りんごのきもちプロジェクト」の事務局長として忙しい日々を送る。「マジック・アップル(魔法のリンゴ)」は弘前の町で小さな芽を出し、全国の人の心の中で赤い実を結びつつある。

 あい子さん、安幸さんは高校時代のクラスメート。友達のまま夫婦になった、そんな感じ。アロハシャツに短パン、野球帽が夏のお出掛けファッションである安幸さんは大学生に間違えられることもしばしば。「好奇心おうせいで万年青年」とあい子さん。

 「外出先から帰る時、妻が待ってますからと言えば恐妻家なんですかって言われる。いえ愛妻家なんですって答えると、うそ、二十五年も暮らしてって不思議がられますけど」。安幸さんの部屋にはゴジラの人形がゴロゴロ。「おやじに小学校上がる前に連れていってもらった『ゴジラ』の映画で見た生物学者がかっこ良くて。それで学者になりました」と真顔で話す。

 今でもゴジラの映画を見にいくと、歌を歌ったり、騒いだり、すっかり心は子供モードの安幸さん。研究室ではネズミ二百八十匹、カイコ五万匹、カルガモ三羽の世話に奮闘中だ。あい子さんは絵本などを教材に、自宅で英語の教室を開く。玄関前のすてきな教室の看板はもちろん安幸さんの手作りプレゼント。

 今年の城田家の手作り年賀状には「五十歳を記念して木を植えています」とある。岩木山のふもとに森と無農薬の農場を作るのが二人の夢。休日には愛犬レーナを連れてブナの苗木を植えに行く。草を刈り、苗に水をやり、汗だくの体で温泉に入るのが何よりの楽しみ。

 夕食の後は二人でおしゃべり。翻訳している間も「いい絵本にしよう」と、とことん話し合った。「それが夫婦にとってすごく楽しい時間でした」。「ノンギャラでいいから、いつかゴジラの映画に生物学者の役で出てみたいなあ」「二冊目の絵本の翻訳に挑戦した
いな」。あい子さんお得意のアップルケーキを食べながら、二人の楽しいおしゃべりは続いていった。
 
inserted by FC2 system