「夫婦つれづれってタイトルには合わないわね。うちは夫婦それぞれ。夫唱婦随でなくて夫唱婦唱。それぞれが好きな道を歩いています」。いかつい体の蘭繁之さん(76)にしっとりとした和服姿の慶子さん(74)が寄り添う。
詩人であり版画家、緑の笛豆本の主宰者である個性派人間の蘭さん。慶子さんは二十代のころから小説を書き初め、現在も「柵」「むうぞく」の同人として詩、随筆と多方面にわたり創作活動にいそしむ。作家同士のご夫妻だ。それぞれ、日常生活でもペンネームを通し、実質上、夫婦別姓をとっている。
「同じ趣味の人間が一緒になるというのは大変ですよ。ケンカばっかり」と蘭さんは笑う。結婚して十八年、慶子さんは初婚だった。「五十を過ぎて、しょっぱい川(津軽海峡)をひとまたぎするのは勇気がいりました」と北海道生まれの慶子さんはほほえむ。
東京の同人誌「青宋」の紙面で蘭さんと慶子さんは知り合う。互いに名前だけ知っているという期間が十年ほどあった。第一印象を尋ねると「めったにないお顔。たこ絵のようというか津軽土着の縄文人といった顔でしょ。いいと思いましたね」と慶子さん。「笑い顔が良かったね。笑顔に引かれたんだな。今はオニだけど」と蘭さんはニヤリ。
結婚してから慶子さんはしまったと思ったという。「この人には二人、女性がいたんです」。息を飲むわたしに「それはおばあちゃんと娘さん。間に立ったこの人は大変だったみたいですよ」と続けた。苦労もあったと想像するが、慶子さんは語らない。
「夫唱婦唱」の夫婦と言いながら、日本詩人クラブの大会、民芸協会の大会へと日本全国どこでも二人で出掛けて行く。同人誌の合評会にも一緒に行くが、互いの作品に口出しはしない。「蘭の作品はいつも読んでいます。文学者としても先輩」と言う慶子さんに対し、蘭さんは「あちらのは読んだって気にくわないといけないから、読まないよ」と照れる。
蘭さんはNHKのみんなの歌で歌われ好評だった「雪の音」のような叙情詩を書く反面、批判を込めた社会派の詩も書く骨太の詩人だ。戦争中は書いた詩が治安維持法に触れ、警察に引っ張られたこともあった。「この人は愚直という言葉がぴったり。ロマンチストであり、理想家。頑固でうまくやれない人なんです」と慶子さんは言うが、そこに惚れ込んだのが慶子さん自身なのだろう。
「食いものでケンカしているよ。津軽のしょっぱい味じゃないんだもの」と蘭さんが言えば、「言葉はお国の手形。食事も全然違うんですよ。六十歳だから我慢ができた。二十代、三十代だったら飛び出してたかもしれませんよ」と笑いながら慶子さんは言い返す。ほほえましい口ゲンカにペンを置いて聞き入った。
蘭さんは「美術館に入るような本を作りたい」と一九六五年から毎月豆本を作ってきた。一回に三百冊。装丁は蘭さんが版画を彫り、自ら手刷りで仕上げている。版画彫りは力仕事の上、目を酷使する。慶子さんは蘭さんの体を心配し季刊を薦めるが「豆本は最後までやるよ。やめてくださいなんて言えば家出してホームレスになるから」と蘭さんはごんぼを掘る。
「二十代のころに書いた作品をまとめるのがわたしの夢」と話す慶子さんに、「ぼくがこんな厚い本を出してあげるよ」と蘭さんが脇から口をはさんだ。 |