真っ白な津軽平野の大雪原。勇壮な武者絵の描かれた津軽凧(たこ)がうなりをあげて大空に舞う。毎年二月、「津軽大凧を揚げる大会」が藤崎町で開かれる。県内外から二千人ほどの凧愛好者が集まり、凧揚げに興じる。その中を、ひときわ華やかに飛び回る女性が佐藤とく子さんだ。
「大会の会場には岩木山から真っすぐに風の通り道が二本きています。凧をこの風の道にそっと乗せる感じね」。日本でただ一人カイトマスターなる肩書を持つとく子さんは凧揚げのこつをこう語る。風を感じた瞬間に糸を引く。重たいはずの津軽凧がすっと空へ引き込まれていくという。
カイトマスターという称号は六年前、アメリカのミッドランド市で開かれる芸術祭に凧作りと凧揚げの指導のために呼ばれた際、当地の市長からもらったものだ。
津軽凧の楽しみ方は三つある。自分で凧を描くこと。風と一体となり、揚げること。そして雪原に座敷を作り、座り込んで酒をくみ交わしながら、凧絵の図柄を愛(め)でること。この津軽凧の楽しみ方を徹底して追求しているのがとく子さんだ。
全国にはたくさんの種類の凧がある。中でも四本の指に入るのが津軽凧。大胆な図柄、特異な色使い。骨組みに県産のヒバを使った津軽凧は全国にその名を馳せる。「ぶんぶ」と呼ばれるうなりの紙を付け、ブーンブーンといううなりを楽しむのが特徴だ。
「このブーンといううなりが津軽凧の不幸だったんです」ととく子さんは言う。終戦まじかの津軽に、津軽凧を揚げてはいけないという禁止令が出された。ブーンという凧のうなりが空襲と間違えられるからという理由だった。「きっと国民全体が必死に戦っている時に、空に凧を揚げるなんて不謹慎だってことだったんでしょうね」
津軽凧は平和な空でないと飛ばすことはできない。「だから凧は平和の象徴」ととく子さん。凧の話になるととく子さんは子供のような笑顔を見せる。凧を描き、厳冬の風に向かって揚げる女性と聞き、たくましい女性を想像していたが、キャッキャとかわいい声を上げて笑う華やかな女性が現れてちょっとびっくり。
だが、とく子さんの描く凧絵は人一倍激しく、力強い印象だ。「女の描いた凧絵とは思えないと言われます。凧に向かう時は男も女もありませんね」。とく子さんが凧に興味を持ったのは夫の甚弥さんの思い出話からだという。「父親と一緒に凧揚げをした思い出を語る夫がうらやましくて。わたしも凧仲間に入りたいと思いました」。凧絵の講習会に通い出したのが三十年前のこと。絵師について本格的に勉強するうち、とく子さんはみるみる津軽凧の魅力にはまっていった。
凧愛好者のために始めた大会は、十七年の月日を経て地域興しの大切な行事となった。子供たちに凧の糸を引く楽しみを知ってほしいというのがとく子さんの願い。「津軽の文化である凧の伝統をきちんと次の世代に伝えていきたい」ととく子さん。
「写真?凧絵の前なんてありきたり。アメリカで凧作りの指導をした際に買ったこの帽子をかぶりたいな」とやんちゃな表情を見せたとく子さん。希望通り帽子をかぶって、パチリ。「津軽凧は地面すれすれまで落としてから、揚げていくのが手技。面白いわよ」。大会当日は糸がちぎれんばかりの猛吹雪を期待している。 |