日本アロマテラピー協会アロマテラピーアドバイザー 平成9年1月25日
平田 洋子さん 「香りで未知の世界へ 風邪もアロマで撃退」
 「風邪を引いた時にはユーカリ油、更年期障害のイライラにはレモングラス、肩こりにはゼラニウム油がお薦め」。目鼻立ちのくっきりとした秋田美人の洋子さん(44)は県内初のアロマテラピーアドバイザー。 カウンターには精油(エッセンシャルオイル)の小瓶が四十種。テイスターからは甘い香りやフレッシュな香り、濃厚な香りが匂(にお)い立つ。 古代エジプトの女王クレオパトラも愛用したというアロマテラピー。

 彼女は乳香(にゅうこう)を体に塗り、香りに包まれながら、肌の若返りに努めたと言う。旧約聖書の中にも登場するほど長い歴史を持つアロマテラピーが芳香療法と訳され、日本でもやっと注目を浴びるようになった。

 「ヨーロッパでは産婦人科や歯科医、老人ホームなどでも使われています。香りが産婦の精神を落ち着かせ、出産時の痛みを抑えたり、歯の治療を受ける患者さんを安心させてくれたり。老人のぼけ防止にも香りはひと役買っています」

 洋子さんがアロマテラピーアドバイザーの資格を取ったのは昨年の秋。「香りの持つ効果を確かめ、お客様にも伝えたいと思ったんです」。東京で開かれたアロマセラピスト栗崎小太郎さんの講座に八カ月通い、アロマテラピーの歴史、使い方、香りのブレンドの仕方、マッサージの方法などを学び、その後日本で初めて行われたアロマテラピーアドバイザー認定試験に合格した。

 アロマテラピーには植物の葉、花、根、果皮などから取り出した純粋な精油を使う。「バラの精油は朝摘んだバラの花びらから採取します。トラック一台分の花びらから約10mgの精油しか採れないんですよ」と洋子さん。

 相手の好みを聞きながら、その人の体質、症状に合った香りをブレンドしてくれる。ストレスで不眠症の人にはカモミールのさわやかな香り。細胞の活性化にはクレオパトラも愛したフランキンセンスのオリエンタルな香りを。風邪気味のわたしにはリラックスできるラベンダーと頭脳を明晰(めいせき)にする効果もあるというユーカリ油をブレンドしてくれた。

 使い方は簡単。浴槽に数滴たらして沐浴(もくよく)したり、アロマポットで精油を温めて部屋に香りを漂わせたり。ピュアなオリーブオイルに入れて、体のマッサージをすれば、気分はクレオパトラ。精油の中にはイランイラン油のように催淫(さいいん)効果を持つ仲間もあるというから不思議。

 店内では洋子さんがアロマテラピーを使った顔のマッサージをしてくれる。「身体には自然の治癒力があります。植物の生命力を取り入れて、身体をいい方向にもっていくお手伝いをするのがわたしの仕事」と持ち前のさわやかな笑顔を見せる。

 「マッサージをすると皆さん心地良さにうっとりしちゃって、もう起き上がるのも嫌って言いますよ。やってるわたしもすごくいい気持ち」と笑う。「精油をブレンドしてどんな香りが生まれるのか、いつもワクワク。香りの世界は奥が深い。香りを使って自分の感情をコントロールすることもできる。手軽に使って、もっと香りを楽しんでほしいですね」

 店内ではアロマテラピーの講習会も予定。ハーブを使ったお菓子や料理、精油を使ったオリジナルな香り作りも体験できる。記憶と深く結びつく香り。店内にあるオイルがあなたにどんな記憶やイメージを呼び覚ましてくれるのか、経験してみるのも素敵(すてき)だ。
重文・高橋家当主 平成11年2月6日
高橋 幸江さん 「高橋家を守って 家と共に生きる」
 城下町黒石。こみせ通りを歩くと、深い雪に抱かれるように高橋家がある。藩政時代からの時の流れをしっかりと受け止めてきた重厚な店構えは、見る人に威圧感と同時に、ほっとする懐かしさを感じさせる。

 現在、高橋家を一人で守っているのが十四代当主の高橋幸江さん(59)。神奈川生まれの女性だ。「みんなにどうしてそんなに元気かって聞かれるの。この家寒いでしょ。外との温度差がないから風邪引かないの。すき間風がいいのよ。乾燥しないし、肌にもいい。ちょっとはいいことないとね」と陽気に笑い飛ばす。

 広い居間にきられたいろりの前で、炭の優しい温かさを楽しみながら幸江さんの話に耳を傾けた。

 とにかく明るい。ぽんぽんと弾むように話が飛び出す。「夫の博道は優しくて、いい男だったわよ。テニスとスキーが趣味で、学生時代は軽井沢で皇太子のテニス仲間だったの」。都内で高校教諭をしていた博道さんは、旅行社でOLをしていた幸江さんと渋谷で出会い、恋におちた。

 幸江さん二十三歳、博道さん二十八歳で結婚。東京で暮らす二人に、博道さんの母方の実家である高橋家から、跡継ぎにと話があったのは一九七三年のこと。幸江さんは三十一歳で高橋家にやって来た。

 「まるで異国の地に来たようでした。よそ者はなかなか受け入れてもらえなくて。話をする人もいないので、ひたすら日記を書きました。当時の日記を読むと、わっこんなにかわいそうだったんだって涙がでちゃう」と笑う。

 井戸水の汚染を考慮し、洗剤は一切使わない生活。食器洗いには灰を使い、おむつの洗濯は畑の片隅で手洗い。神奈川の実家の母からの励ましの手紙が幸江さんを支えた。「東京での楽しかった生活を思い出しながら、十年はただ帰りたい一心でした」

 そんな幸江さんの心を変えたのは、高橋家十二代当主、完造さんの姿だったという。完造さんが高橋家をどんなに大切に守ってきたかを知るに従い、幸江さんもだんだんと高橋家に愛着を抱くようになった。「父は子供がこの家にびょうを打つのもしかるほど、この家を大切にしていました。厳しいけれど、間違ったことは言わない人でわたしは父に育てられたと思います」

 完造さんが亡くなり、跡を継いだ博道さんも三年前に亡くなり、幸江さんが十四代目高橋家当主となった。実家の兄弟たちはこの家を行政に渡し、神奈川に帰えることを勧めた。「主人が亡くなった時、ここはわたしが守らなくてはと思いました。家というのは人が住んで初めて家になるんだと言った父の言葉を思い出しました」

 朝起きるとまず、幸江さんは家の回りをぐるりと見回る。この時期に父はこうやっていたと思い出しながら、いつしか当主の目になっていった。築二百五十年になる高橋家だが、一度も大掛かりな修理をしていない。代々の当主がきちんと家を守ってきたからだと幸江さんは誇りに思っている。

 夏は風が通り抜け、冬でも乾燥したり、かびが生えることもないという藩政時代の商家高橋家。家も人と共に生きている。「気持ちがゆったりとして、とても落ち着く。よそではもう暮らせない」とほほえむ幸江さん。「わたしがこの家の最後の住人になるのかな。何が何でも次の世代に頑張ってほしいとは言えない。時代と共に生きていくのが自然なこと」と話す幸江さんの顔には、頑張ってきたという満足感と一抹の寂しさがあった。

僧 侶 平成6年6月4日
三明 まゆみさん 「良き伴りょに出会い 仏の道を歩み続ける」
 「ちょっと待っててね。洗濯物干しちゃうから」。約束の朝十時、新寺町の明教寺を訪ねると元気な声が響いた。三明まゆみさん、四年生を頭に三歳まで四人の子を育てるお母さん。そして、明教寺の坊守でもある。

 まゆみさんの故郷は滋賀県山東町柏原。峠を越えると関が原だ。小さい村なのにお寺は三十六もあって、小さいころからお寺が好きな子だった。中学の時、倉田百三の『出家とその弟子』を読んで結婚するなら親鸞上人みたいな人と思ったという。高校生になり尼さんになりたいと言いだし「五体満足で女に生まれ、子を生まないなんて」と母に泣かれた。反対を押し切って入った大谷大学で、お経の勉強をした。

 「お経は面白いですよ。声に出して読めば自分なりの考えが出てくるの」。ところが大学四年の時、卒論の準備で通っていた大学の研究室で夫、智彰(ちしょう)さんと巡り合い学生結婚した。縁とは本当に不思議なもの。

 智彰さんと親鸞上人は似ていたの?と聞くと「あ、この人にはかなわないと思った。人間的にも宗教的にも深くて広い人だった」と笑う。「主人は嫌がるけど親鸞上人と法然上人みたいな関係かな。師であり、父であり、夫であり」。

 まゆみさんは今、弘前で四人の子と智彰さんの両親とで暮らしている。夫は大谷大学の助教授となり、京都に残った。住職の代わりにまゆみさんが葬式に出ることも多い。お経を読み、説教をする。

「時々失敗があるのよ」とまゆみさん。一番最初、火葬場で経を読むことになり、タクシーに乗ったとたんお経の本を忘れたことに気付いた。が、いつも読んでいるから大丈夫、とそのまま行った。読んでる途中「いい声だなあ」と思った途端、頭の中が真っ白になった。「ワーどうしようってあせりましたよ」。

「真宗には中身がないのに外を繕うな、という教えがあります。落ち込むことを卑下慢、偉ぶることを増上慢と呼ぶんだけど、私だって同じ。今は修行中。できません、分かりませんははっきりいいますよ。ええかっこはしない」ときっぱり。「グチだってこぼすし。智彰がいてくれたらなあっていつも思うし」。

 女性がお経をあげたり説教するのは弘前では珍しがられる。「だからやっぱり女じゃ駄目なんだとしゃべられないよう頑張らないとね」とほほえんだ。

 まゆみさんの夢は若い人がお寺に話を聴きに来てくれること。「お寺は本来、話を聴きにいく所なんですよ。なのに法事をする所になっている。どうすれば若い人にお寺に来てもらえるか。それには自分がちゃんと法を身に付け実力をつけなくてはね」。

 パソコン通信で「唯我独尊」というユニークなページを開くまゆみさん。着々とした歩みをこの弘前で広げている。

NHK文化センター弘前教室で古事記を教える 平成6年10月15日
三村 三千代さん 「にじみ出る温かい感性 目下公私ともフル回転」

 「十一時に弘前駅で会いましょう」。改札口から現れたその人はえくぼのできる優しい笑顔の持ち主だった。この女性はNHK文化センター弘前教室で古事記を教えている三村三千代さん。自宅のある百石町から三時間かけて弘前にやって来る。

 「古事記の魅力は登場する女性たち。みんなおおらかでドーンとしていてステキ」と笑う。力強くてセコセコしない古代の女性像に憧れてか、高校生の時から肝っ玉かあさんになりたかったというから面白い。

 三千代さんは茨城県水戸市の生まれ。小さいころは童話作家になることを夢見た文学少女だった。東大文学部の卒論にはそのおおらかさに引かれて、古事記を選んだという。研究者になりたいと大学院に進んだが、大学で同期だった夫申吾さんの猛烈なアタックに負け結婚。申吾さんの故郷百石町で暮らして八年になる。

 三千代さんはさまざまな顔を持っている。小学校三年、一年、三歳の子の母親。大家族八人の台所を切り盛りする主婦。八戸の大学で講師をし、生涯学習審議会など県の委員を六つ引き受けている。そして極めつけが百石町長婦人。その上、町長になってしまった夫の跡を次ぎ社長業もころがり込んできたから、大変だ。

 過労から昨年は三カ月間病院に入院したという。大変ですよね? 「忙しすぎるのは確かですね。でもどうせなら楽しんじゃおうって思っています。選挙カーに乗って手を振ったり、なんてなかなか経験できませんよね」。申吾さんは「いろんなことできて楽しいだろ?」と言うらしい。

 「これが本当に自分の生きたい生き方だろうかって思うこともありますね。夫の都合で動かされちゃったところもありますし。だからどこかで自分らしさを持っていたいって思います」。そんな三千代さんが一番自分らしい時間だと思うのが古事記の話をしている時だという。

 講義をちょっとのぞかせてもらった。ゆったりとした語り口に、時折南部のアクセントが混じる。きょうの授業はイザナギノミコトが神々をつくる話。古事記の話になると熱が入り、身振り手振りが付いてくる。目を輝かせて話す様子は文学少女の姿そのままだ。

 講義のあと、質問にやって来る人にひとつひとつ丁寧に答えていく。いつでも誠実に精一杯頑張る人なのだろう。三千代さんの温かい雰囲気とおおらかな笑顔が古事記の女性ってこんなかしらと、私をひとときタイムスリップさせてくれた。

舞踏家 平成10年5月23日
雪 雄子さん 「植物や動物が先生 無垢な心で変化自在」

 「一人ぽっちになりたくて津軽へやって来たんです」と強い視線でこっちを見た。「津軽に呼ばれたの」と言葉を重ねる。せわしなく質問したがるわたしに「そんなに急いじゃだめ」と目が少し怒っていた。

 一本のクリの木と山の見える風景に引かれて、ここで暮らすことを決めた。散歩の途中で拾った種箱にミルキーホワイトのペンキを塗り、「納屋の小道」と名付けた。まるで赤毛のアンみたいな人。一人遊びが好きと柔らかく笑う。お気に入りの場所は自宅の屋根裏部屋。

 隅に置かれた机の上で詩を書き、絵を描く。「詩人で絵描きでもあるのよ。きょうは自慢しちゃおう」と少女のような表情を見せる。悟りきった老女のような顔になったり、厳しい芸術家の目で見据えたり、あどけない女の子の笑顔を見せたり、変幻自在。カメラを向けるのも忘れて、くるくる変わる豊かな表情に見入った。

 屋根裏部屋には新緑の青くさい風が吹き抜けていく。風のにおいや音に耳を傾けないで、どうしてわたしを理解しようと思うの?そう耳元でささやかれたような気がした。「舞踏って不思議なの。一時間踊ると、0歳から百二歳までのことが体験できる。想像力。じっと耳を澄ませば、声が聞こえてくるの」

 雪さんは東京生まれ。五年前、津軽にやって来た。東京では耳を澄ますことも忘れていたという。「東京には宙(そら)がない。何もかもびっしり詰まって閉そく状態。津軽の土や風からいろんなことを教えられています」

 東京ではいい踊りを見せたいという一点ばりだったと振り返る。今は植物や動物、老人が先生だという。一本の木を何時間もじっと見つめる。我を忘れて見ることで木と一体となり、やがていやされていく。そうやって虫から宇宙までを体で表現していく。「わたしがいてはだめ。わたしがハトになったり、木になったり、少女になったり」

 九歳の時、お母さんが亡くなった。血の海の中で叫び、苦しみながら死んでいくのを見た。ひどいショックが雪さんを神経症にした。「お母さんがあんな死に方をしなければわたしは舞踏家にはならなかったと思う。死の残酷さを知ることで生命を知ることができた。長いこと苦しんだけれど、今は感謝しています」

 リサイタルで「レクイエム」を踊りたいと考えている。今なら私小説の死を普遍的に表現できるのではないか。大きなスケッチブックに思い浮かぶ言葉を書き込んでいく。翼(つばさ)、空、月、かっぱ。イメージがどんどん広がる。それらがくっつき、どんなレクイエムが雪さんの体から産まれてくるのだろう。

 普段は猫のふうちゃん、犬の桐丸、そして雪さんが「とっと」と呼ぶ夫の康夫さんとの暮らし。隣の空き地で畑を耕し、カボチャの苗を育てる。「ふうちゃん、はあいは?」。「ニャーア」と応えるふうちゃん。ここだけ別の時間が流れているのではないかしらと思わず時計を見上げた。

 ゆるやかな時の流れを表現するように、ゆっくりと静かに空(くう)と遊び、空を舞う雪さん。「無垢(むく)なるものになれば、その人はもう舞踏家。子供なら毛虫になってごらんって言えば喜んで毛虫になってくれる。それが舞踏。こんなに楽しいこと忘れたら、だめですね」。時間を忘れて、無垢なるものになる。現代人がなくしてしまったたおやかな時間、柔らかな心がそこにはあった。

 
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