| 城下町黒石。こみせ通りを歩くと、深い雪に抱かれるように高橋家がある。藩政時代からの時の流れをしっかりと受け止めてきた重厚な店構えは、見る人に威圧感と同時に、ほっとする懐かしさを感じさせる。
現在、高橋家を一人で守っているのが十四代当主の高橋幸江さん(59)。神奈川生まれの女性だ。「みんなにどうしてそんなに元気かって聞かれるの。この家寒いでしょ。外との温度差がないから風邪引かないの。すき間風がいいのよ。乾燥しないし、肌にもいい。ちょっとはいいことないとね」と陽気に笑い飛ばす。
広い居間にきられたいろりの前で、炭の優しい温かさを楽しみながら幸江さんの話に耳を傾けた。
とにかく明るい。ぽんぽんと弾むように話が飛び出す。「夫の博道は優しくて、いい男だったわよ。テニスとスキーが趣味で、学生時代は軽井沢で皇太子のテニス仲間だったの」。都内で高校教諭をしていた博道さんは、旅行社でOLをしていた幸江さんと渋谷で出会い、恋におちた。
幸江さん二十三歳、博道さん二十八歳で結婚。東京で暮らす二人に、博道さんの母方の実家である高橋家から、跡継ぎにと話があったのは一九七三年のこと。幸江さんは三十一歳で高橋家にやって来た。
「まるで異国の地に来たようでした。よそ者はなかなか受け入れてもらえなくて。話をする人もいないので、ひたすら日記を書きました。当時の日記を読むと、わっこんなにかわいそうだったんだって涙がでちゃう」と笑う。
井戸水の汚染を考慮し、洗剤は一切使わない生活。食器洗いには灰を使い、おむつの洗濯は畑の片隅で手洗い。神奈川の実家の母からの励ましの手紙が幸江さんを支えた。「東京での楽しかった生活を思い出しながら、十年はただ帰りたい一心でした」
そんな幸江さんの心を変えたのは、高橋家十二代当主、完造さんの姿だったという。完造さんが高橋家をどんなに大切に守ってきたかを知るに従い、幸江さんもだんだんと高橋家に愛着を抱くようになった。「父は子供がこの家にびょうを打つのもしかるほど、この家を大切にしていました。厳しいけれど、間違ったことは言わない人でわたしは父に育てられたと思います」
完造さんが亡くなり、跡を継いだ博道さんも三年前に亡くなり、幸江さんが十四代目高橋家当主となった。実家の兄弟たちはこの家を行政に渡し、神奈川に帰えることを勧めた。「主人が亡くなった時、ここはわたしが守らなくてはと思いました。家というのは人が住んで初めて家になるんだと言った父の言葉を思い出しました」
朝起きるとまず、幸江さんは家の回りをぐるりと見回る。この時期に父はこうやっていたと思い出しながら、いつしか当主の目になっていった。築二百五十年になる高橋家だが、一度も大掛かりな修理をしていない。代々の当主がきちんと家を守ってきたからだと幸江さんは誇りに思っている。
夏は風が通り抜け、冬でも乾燥したり、かびが生えることもないという藩政時代の商家高橋家。家も人と共に生きている。「気持ちがゆったりとして、とても落ち着く。よそではもう暮らせない」とほほえむ幸江さん。「わたしがこの家の最後の住人になるのかな。何が何でも次の世代に頑張ってほしいとは言えない。時代と共に生きていくのが自然なこと」と話す幸江さんの顔には、頑張ってきたという満足感と一抹の寂しさがあった。 |