弘前学院大学で社会学を教える遠藤知恵子さん(57)。「お若いですね」と声を掛けると、「若さの秘けつは年取ってから学校に入り直すことかしら?」といたずらっぽい笑顔を見せる。
専業主婦を十三年経験した後、三十八歳で北海道大学教育学部に学士入学。十年掛けてマスター、ドクターコースヘと進み、五十歳で生まれて初めて就職したという異色の大学教授だ。
札幌に家族を残し、弘前に単身赴任して七年になる。「一人暮らしは生まれて初めて。夫とは離れることによってお互いに良さが分かった。別々に暮らす意味がありましたね」。ニコニコと温和な表情を崩さない。肩の力が抜けている。「主婦の感覚が抜けず、教授会でお茶を入れようとして、遠藤先生しなくていいからと男の先生にたしなめられたり」と照れる。
二十四歳で結婚した。二十五歳で母親になり、二年おきに三人の子を生んだ。
とにかく社会とつながりたいとPTA活動、子供劇場、母親クラブなどの活動に参加。「子育ての中で、親が変らないと子も変らないと感じた。その時から、家庭に入った女がどう社会とかかわっていくかがわたしの大きなテーマとなりました」
長女の中学入学を機に大学に入り直そうと心を決めたが、一年目は大学から
拒否された。「ここはカルチャーセンターじゃない」と陰口をたたかれたこともあった。聴講生として一年通い、実績を積んでから再度挑戦。夫は室蘭に残り、知恵子さんは中学生と小学生の子を連れて札幌に移住し、北大に通った。
「これが一回目の別居。夫と離れて、子育てしながら学生をしたという人は意外に少ないかも」とふんわりした笑顔を見せる知恵子さん。学部の卒論のテーマは、
当時最も関心を持っていた「PTA」だった。
苦労がなかった訳ではない。長男が中学生の時、びっくりするくらいの反抗を見せた。「大学院を止めた方がいいのかなあと思った時期もありました。でも止めて、親がべったり見ていればいいという訳じゃない。客観的に子供を見ようと大学院を続けました」
五十歳で弘前へ就職が決まった時はさすがの夫も難色を示した。「すぐに帰るからと半年掛けて説得しました。わたしが家を出てからは夫も食事を作り、洗濯をするようになり、このごろはわたしよりいいものを作って食べているみたい」。新しい夫婦の形が生まれつつある。
ゼミでは女性か自立するとはどういうことか、人間にとって働くこととは、高齢者の問題などさまざまな切り口から社会を見直そうと考えている。「大学を地域に開いていきたい」と学外への開放講義や公開講座にも積極的に取り組む。
「生活や地域の中に学習のきっかけはある。それぞれの生活の中で変わっていくことが学習。まずは自分たちが抱える問題に気付くこと。講演会を聞いて男女役割分担を大声で叫ぶよりも、生活の中で徐々に変わっていくのもいいんじゃない」とやんわり語るが、さすが実戦に基づいているから説得力がある。
地域とかかわって、その地域の課題を研究していきたいと考えるが、「地域としっかり結び付くと北海道に戻れなくなるかしら」と苦笑する。この土地に住み続けたいと考える知恵子さんにとって、北海道に根づいている夫とどう歩み寄っていくかが今後の大きなテーマだ。「理想論は理想論として、夫には申し訳ないと思ってますね」。研究者ではない、素顔の知恵子さんが笑っていた。 |