声楽家 平成8年11月30日
木村 直美さん 「8年ぶりのリサイタル のびやかな歌声を披露」

 十二月十八日、八年ぶりでリサイタルを開く。「二人の子供がこの春巣立ち、自分に何が残るだろうかと振り返った時、一歩踏み出す気持ちになりました」。直美さんの家からはいつでも大きな歌声が聞こえてくる。「小さな声で歌うのは一番苦手」という木村直美きん(49)の元気あふれる歌声だ。

 「音楽さえあれば幸せ」という彼女の生き方はとてもシンプル。家の中にはピアノと楽譜とコンサートの資料と野良犬だったクンクン、年寄り猫のヴェスタとミャーミャーと。「わたしの行動範囲は練習場とコンサート会場、近くのスーパーだけ」と笑う。

 九州生まれの北海道育ちという直美さんのおおらかな性格から生まれる歌声はとてものびやかだ。ピアノの前に地平線と青空だけが描かれた絵が掛けてある。直美さんはこの絵の中の地平線に向かって晴れやかな声で歌う。本格的に声楽を始めたのは弘前大学の在学中。「声のでっかい一年生がいるよと、それが買われてオペラの主役に抜てきされました」

 大学卒業後、北海道に帰り教職に就くことが決まっていたが、「もっと歌の面白さを知りたい」と弘前に残り、「弘前オペラ」のメンバーとなって二十五年が過ぎた。
その間育児の傍ら、さまざまな音楽活動にチャレンジしてきた。「ねむの会ファミリーコーラス」もそのひとつ。誰でも歌える歌を歌っていこうーと六年前に発足。
メンバーは幼稚園の子供から七十二歳の「おばあちゃん」まで二十人。
大学生あり、留学生ありの雑多なファミリーだ。

 直美さんはこのファミリーの指導者であり、指揮者であり、ピアニストであり、おなかをすかせた団員にササッと食事を作るお母さんでもある。「指揮をする時心掛けているのは、まず楽しいこと」と言い切る。九日、「ねむの会ファミリーコーラス」の初めてのコンサートを弘前の駅前市民ホールで開いた。舞台の上では小さい子も大人も生き生きと自由に歌った。

 「いい声でなくてもいい。自分の声は世界でひとつ。与えられた声を大事に生かしていきたい。飛び出していい。個人が輝かないとグループもないと思っています」と直美さんは肝っ玉母さん風に胸をたたく。「自然の中に音楽がある」と考える直美さんはクンクンの散歩をしながら花や道端の草に目を留める。花の色や草の息づかいを歌で伝えたいと思っているからだ。

 リサイタルでは大好きな曲ばかり二十一曲を選んだ。「クラシックは特別な人のものじゃない。台所の延長にあると思っているの」と話す直美さん。第一部でシューベルト、二部ではシューマンの「女の愛と生涯」を歌う。恋人との出会いから死を見取るまでの女性の一生を表現する。「今歌わなくてはいけない歌。自分の気持ちと共感して、胸がキュンキュンします」と言うほど入れ込んでいる。

 三部と四部では「ここがわたしの故郷」と思い定めた津軽への思いを歌う。
「新しいものを作るには、はみ出す勇気がいる。どうせやるなら堂々と元気一杯にはみ出したいわね」と話す。リサイタルでは女性として、声楽家として脂の乗った声を聴かせてくれそうだ。

学童保育「あっとほーむ」
スタッフ
平成10年9月5日
出崎 真里さん 「出産・育児を通して変身 生き生きとした母親が一番」

 午後二時。「ただいま!」。元気な声が「あっとほーむ」に饗く。黄色いランドセルをしょった一年生が怒濤(どとう)のように部屋になだれ込んできた。

 「宿題は?」[きょうは本読みだけ]「靴下ぬれちゃった」「早く脱いで」「傘壊されちゃったよう」。泣きながら真里さんに訴える子。背中に飛びついて甘えに来る子。ちょっかいを出しに来る子。さまざま。一人一人に話し掛け、
答えながら真里さんの「あっとほーむ」での半日日が始まる。

 「あっとほーむ」は真里さんと数人の仲間たちが学童保育施設として二年前に開設。現在、小学一年生から四年生までニ十七人が放課後の数時間をここで過ごす。「スタッフ自身楽しまないと子供たちも楽しくないね、がここのコンセプト。だから子供たちと一緒に楽しんでいます」

 真里さん(31)は七年前、青森市にやって来た。生まれは東京。何も分からない、誰も知らない土地に来る不安は大きかったという。一年後、尭裕(たかひろ)くん、莉恵(りえ)さんの双子が誕生。育児に専念し、家にこもる生活が続く中、「人と接触したい、社会に参加したい]という思いが膨らんでいった。

 「夫は仕事が忙しくて残業続き。つまらないと不満ばかり。言ってても何も始まらない。自分で何かみつけないとだめだと気付きました」。そこで育児サークル「マザーグース」に参加。サークルの会報作りに係わったことがきっかけとなり、一九九二年、情報誌「子連れDEskip」が誕生する。

 自分も青森に来た時、何も惜報がなくて困った。お母さんは託児付の講演会や子連れで行くことのできるコンサート情報など知りたい。子供と一緒だと腰が重くなりがちだけど、子連れでもいろんなことができるんだよという思いを込めて作った情報誌です」。「行動的なお母さんになろう」という意味を込め、会の名は「Activeマミーズ」。「育児で家にこもっていた間に貯め込んだエネルギーが一挙に爆発したのかな?」と笑う。

 「へえー、わたしってこういうことが好きだったんだ」。自分でも知らなかった新しい自分の発見でもあったという。結婚前は保母として働いていた真里さん。「せっかく採った資格をそのままにしておくのはもったいない。自分でもおカネを稼いでみたい、もう一歩前に進みたいと思い始めたんです]。そんな時にやってきた学童保育の話。一軒家を借り、仲間とスタート。昨年からは青森市からの補助金も出、市の放課後児童会「なかよし会」のひとつに加わった。

 「青森に来てよかったって思います。自分が変われた。あのまま東京にいたら、のんびり子育てだけしていたかも」と真里さん。「自分の子を保育園に預けて、人の子の面倒を見ているのか」と言われることもある。だが「外の世界を見ながら子育てするのが自分には合っている。母親が元気で生き生きしているのが一番」と笑い飛ばせるようになった。

 子育てや仕事を通してどんどん変わっていった真里さん。「少し自分に自信ができた」とか。出産、育児という人生の節目をステップにして、輝く女性がどんどん増えていけばいいなと、そう思う。

人形作家 平成7年1月14日
大池 豊子さん 「ぬくもりが伝わる作品 家庭の中から生まれる」

 大池さんの作る人形は陶器のようなすべらかな肌と風になびく髪、流れるようなフォルムが特徴。昭和五十五年から日展に十六回連続人選を果たしている。

 一点作るのに四ヵ月ほどかかる。丸太をノミで削り、その上に粘土を付けて肉付けしていく。削りと肉付けを繰り返して造形したものをヤスリで磨き、和紙か絹を張って
胡粉(ごふん)を何回も塗っていくという。
「根気とエネルギーのいる仕事。主人の協力があってこそ」と話す豊子さんは、大学生を頭に小学一年生まで
五人の孫がいるチャーミングな女性だ。

 「これほどやるとは思ってなかったんですよ。最初は戦後のどさくさの中で育った娘たちに、おひなさまを作ってあげたかったの」。豊子さんが人形作りを始めたのは二十七年前、四十歳を目の前にしたころ。「結婚してから何かしたい、何かしたいと思っていました。でも子供の手がすっかり離れるまでとがまんしていたんですよ」。一番下の子が小学六年生になったのを機会にあれこれチャレンジを開始。
その中で巡り合ったのが人形作りだった。

 たまたま見た石崎あいさんの人形に心引かれ、なんとか弟子にしてほしいと頼みこんでみたという。だが弟子は取らない方針の石崎さんにきっぱりと断られた。
それでも諦めきれない豊子さんは、電話での指導でいいからと必死で頼みこんだ。

 やっと許しが出た電話を通しての指導。「新聞紙をカセイソーダで溶かして・・」と教わりながら作ったという一作目の作品を見せてもらった。それは、小さな子供があどけない表情で唄を歌っている愛らしい人形だった。

 「初めて作ったこの人形にはわたしの魂が封じ込められているんですよ。
今まで抑えていた気持ちを全部閉じ込めて・・」。
それから五年後の昭和五十一年、日展に初出品し、見事に初入選を果たした。
作品は「休日」。幸せそうな親子を人形にした。「おむつを洗ったり、ずっと子供の世話に明け暮れてきたので、これしか知らなかったから、家庭の中の親子の姿を人形にしたんです」と豊子さんは照れた。

 その後は弘前ねぶたの鏡絵や見送り絵を題材に作品を作った。近作は夫婦が遠くを眺めている「彼方」や「雨去りて」「虹」など、男と女の姿が形作られた作品が多い。「モデルは主人とわたし。雨が降ったり、風が吹いたり、虹の立つ日もありました。風も雨もおさまって、二人で静かに暮らしたいなーという願望なんですよ」。

 豊子さんは敗戦後すぐのころ、女医を目指して女子医専で勉強していたことがある。だが、勉学の途中で医者の卵だったご主人と出会い、意気統合して結婚したのだという。女医さんになって、ばりばり働いていたかもしれませんね?と水を向けると、にっこりと笑った豊子さん。

 「この道で良かったんでしょうね。後悔はありません。幸せな人生だと思っています」。そう語りながら、居間の片すみで人形作りをする豊子さん。「そうじや洗濯、
食事の支度の合間に作るのよ」と話す、その穏やかな笑顔に思わず見人った。

 人の人生にこうしていたら、ああすれば、という仮定は存在しない。この人生が唯一のもの。自分自身が選び取ってきた道を後悔することなく、いい人生だと言い切る先輩の姿に頭が下がった。豊子さんの製作する人形の気高さ、優しさは、そんな豊子さん自身の生き方を映しているのだと、そう感じた。いつまでも、自分自身のために、人形作りを続けていただきたい。

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