「ブエナス・タルデス」「ブエナス・タルデス・セニョールサワダ」。あいさつを交わし、 次々と生徒たちが教室に人ってくる。「ブエナス・タルデス」とはスペイン語で「こんにちは」。笑顔で迎えるのはスペイン語を教えるサンチェスさんだ。
週一回開かれる「イベリア文化研究会」のため、サンチェスさんは青森から弘前にやって来る。日本に来て十九年になるサンチェスさんは日本語がペラペラ。じょうずな日本語を交え、スペイン語を教えていく。
「筆箱の中には何かありますか?」「ラピセス・デル・コロラス(色鉛筆)」。YESはシィー、辞書はディクショナル、テレビはテレビシオン。慣れてくると英語に似た単語が耳に飛び込んでくる。いかにも南国らしいきびきびとした発音のスペイン語は、聞いていて気持ちがいい。
「イベリア文化研究会」はスペイン大好き仲間が集まり、五月からスタートした。言葉を通して、スペインの生活、文化、歴史などを学ぶ会だ。「スペイン人は自宅でも靴で生活するんですか?」という質問に、「自宅では自分のスリッパに替えます。でもお客さんにスリッパは勧めません。日本人の清潔感とスペイン人は異なるわね。スペイン人は人がはいたスリッパははかない。不潔な気がしちゃう。スリッパから水虫がうつったりしないかしら」と話すサンチェスさんに、「スペインのレストランでは、フォークの隙間に食べかすがつまって出てきた」と生徒。「うそっ、へんなレストランに入ったんじゃないの」。清潔談義で盛り上がる。和やかな雰囲気がいい。
サンチェスさんは南グラナダの生まれ。十九歳の時、グラナダ大学にスペイン語を学びに来た日本人と恋に落ちた。そして周囲に祝福され日本に。たまたまその相手は青森の人たった。「自分で決めて日本に来ました。十八歳は自分で物事を決めることができる年齢です。母は私の人生が母のものだとは考えていなかったから心配はしたけど、反対はしませんでしたね」
夫婦で東京で暮らした後、八年前に青森市に帰ってきた。普段は夫の実家が経営する社会福祉施設で事務を採る。「仕事場では義母(はは)は私の上司です。私の祖母も母も働いていたから、私にとって働くことは当たり前のこと」と話すサンチェスさん。スペイン語の講座を開く傍ら、頼まれてスパニッシュオムレツやパエリヤ、レンズ豆の煮込みなどスペインの家庭料理も教える。
話していて全く違和感がないほど、津軽になじんでいるサンチェスさん。「息子の晋平(しんぺい)(7)が一番厳しい。お母さん、『ず』 っていう発音が違うよってよく言われるの」。津軽弁も周りの人から自然に学び、ヒヤリングならバッチリだ。
青森の秋が一年中で一番好きだという。スペインは花でいっぱいになる春がいい。「スペインは桜はあまりないけれど、アーモンドの白い花がきれい。スペインには紅葉はないの。十月の青森はとてもきれい。でも雪はいやあね」と顔をしかめた。
日本に来ての苦労は?と尋ねれば「自分の国の人と結婚しても、いろんな人生の山を越えなくてはだめでしょ。言葉やいろんな違いに慣れるのはそれは大変たったけれど、ほかの人に比べてすごい苦労したとは思ってないの」とにこやかに答えてくれた。
サンチェスさんのモットーはきちんとその日その日を生きていくこと。常に前向きで、堅実な女性だ。
そんなサンチェスさんは世界の情勢に不安を抱いている。「スペインのことわざに『人間は同じ間違いをおかす』というのがあるの。スペインでもバスク地方ではよくテロが起きる。戦争のことを考えたら、身近なちょっとしたことなんてくだらないって思っちゃう。戦争にならないといい。人を殺してもどこにもたどりつかないのにね」
その日その日を大切に生きていけば、必ずいい方向に行くとサンチェスさんは信じている。「セニョリータシミズ。スペイン語もやってみてね」。帰る私の背中で、明るい声が響いた。
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