フルレゾン舘山花店

            弘前土手町                                平成13年8月25日

舘山 比佐子さん 「季節の花々で食卓飾る 気軽に自由に楽しんで」

330.jpg ひと抱えもある枝ものや成り実、真紅のバラや元気なヒマワリが十本で五百円。これは花好きの店主舘山比佐子さん(54)の楽しい遊び心だ。

 「市場に行くと、必ず一つは破格な値段のものがある。紙代だけ出ればいいと思って、よし十本で五百円と値段を付ける。買ってくれるお客様が喜んでくれればいいじゃない」。仰々しい花ではなく、季節の花を気軽に飾って楽しむ、「ホ     
              ームユース」が比佐子さんのこだわりだ。

 昨年十一月、弘前の下土手町にオープンした舘出花店。取材の日はお盆のための花があふれ、店内は活気に満ちていた。「水で手は荒れるし、腰は痛めるし、この仕事は重労働よ」と元気な笑顔を見せる比佐子さん。青いTシャツに白いパンツといういでたちで軽やかに動き回る。

 毎朝、比佐子さんが市場に花を仕入れに行く。指で合図し、大声を張り上げ、気に入った花を買い込む。「市場は私のストレス解消の場」と比佐子さん。城東店、西弘店、ビブレ店、ヨーカドー店、中三弘前店、下土手町店と市内の六店舗に仕入れた花を配ってゆく。花選びが見事に当たり、それぞれの店から「完売」の知らせが入ると「ヤッター」とうれしくなる。

 比佐子さんの実家は弘前市の花屋のしにせ「オザキフローリスト」。「朝早くから夜遅くまで働く両親を見て、娘時代は花屋にだけはなりたくないと思っていた」と笑う。

 市場がなかった当時、父親が自転車に乗り、岩木町の農家まで花を買入れに行ったという。朝三時に家を出て、百沢の野山に枝ものを採りに行ったり。「居間まで花があふれて、ふろ場が水おけ代わりになっていた。店の商売を嫌い、私は普通のサラリーマンのところに嫁に行ったはずなのにね」

 二十歳で二歳年上の彦雄(ひろお)さんと結婚した。頼まれて、西弘駅前のマーケットに花を置いたのが始まり。オザキフローリスト西弘店としてスタートを切った。爆発的に花が売れ、彦雄さんは実業家に転じた。ピザハウス、ライブハウス、喫茶店、輸入雑貨の店。「夫はチャレンジ精神旺盛な入。新しい話が来れば経営度外視で全部乗る。私は夫の後から必死で走ってきただけ」とおおらかな笑顔を見せる。八年前から舘山花店を名乗り、花一筋となった。

 五十歳を過ぎ、少しは好きなことがしたいと岩木山のふもとに畑を買い、比佐子さんは花作りを始めた。愛らしい飾りカボチャのプッチーニ、赤い実がかわいいヒペリカムやラベンダー。作業場に腰を下ろし、ニンニクやトウガラシの飾りを一人でこしらえる 。「彦雄さんのおかげて横道をいろいろ通って、楽しい人生だった。それでも最終的に花屋になったんだから、不思議ですね」

 見た目は華やかだが、地味な作業が多い花屋さん。比佐子さんも一見はでやかな印象だが、堅実な女性だ。比佐子さんの願いは、土手町が花いっぱいの歩いて楽しい町になること。「この店もカウンターでお客様が一服できるような、そんな安らげる場所にしたい。二階はギャラリーのようにできたらいいな」

 これからの季節、コスモスやリンドウ、ワレモコウやオミナエシなど秋の花野を思わせる花々が店内を彩る。「季節の花を食卓に」。比佐子さんの花選びが光る。


 司会業

            青森市橋本                                      平成13年6月30日

黒石 ナナ子さん 「時の流れに目を向けて 奇をてらわずに描く」
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 とにかくパワフル,話し出すと止まらない。「ムーニャムニャムニャ、ゴホンゴホン」なんてイタコの口寄せが入ってみたり、バレリーナのように踊って見せて「チャスフラフスカナナよ」とにっこり。そばにいれば本当に楽しい。気付くと、いつの間にか話の中心に納まっているのが黒石ナナ子さん。その話術と笑顔が心を開くかぎだ。

 「七つの顔を持つ女」を自称する。司会業、観光案内、民謡、演歌、手踊り、三昧線、講演会の講師。そして「ハ郎一座」を主宰するお笑い提供企業「笑エンタープライズ」の代表でもある。

 みんなに喜んでもらうのが好き。みんなを笑わせるのが好き。女性を元気付けるのが好き。人が好き。「毎年、毎年が私の句。今が一番いい」と言い切るナナ子さんには山形くにこという本名がある。バラエティー部門を担当するのが黒石ナナ子、それ以外が山形くにこと分業体制だ。

 「私のパワーの源は森羅万象。自然から力をもらっています。中でも一番好きな蔦温泉に行きましょう」。そんな言葉に誘われて蔦温泉までの小さな旅。 「こちらに見えますのは地獄、極楽、霧に隠れる地獄沼でございます。道端には小さなミズバショウも咲いております」。

 酸ケ湯温泉から蔦温泉へと続く緑のトンネル。車を走らせながら、流れるような名ガイドを披露してくれたナナ子さん。「ここは私がバスガイドだったころ、修学旅行生を乗せて毎日のように走った道。中学生からいっぱいファンレターが届いたのよ」と満面の笑顔を見せる。

 十和田観光電鉄のバスガイドとなったころ、美声ぞろいの仲間に圧倒された。「ほかの人がウグイスなら、ガラガラしか私の声は風邪を引いたウグイズだと思いました」。そのハスキーボイスを逆手に取り、魅力にしてしまうのがナナ子さん。講談、芝居、語りなんでもやる名物バスガイドが誕生した。

  「これからはフリーの時代」と判断し、独立したのが二十四歳の時。当時珍しいフリーの観光ガイドとして全国を案内して回った。

 ガイドする土地の歴史、伝説、名所の勉強はもちろん、お客さんを楽しませるためにイタコの口寄せ、歌舞伎の一節、なんでもこなした。「すべてが勉強。ガイドは聞かれたことには何でも答えないといけない。恥を捨てて何でもやる。突然大きな声でアイヤーしばらくってやり出せば、バスで眠っているお客さんも、なんだなんだって起きるじゃないの」。九州から北海道まで全国のバスに乗ってガイドを務め、この調子でナナ子ファンを増やしてきた。

 黒石ナナ子の名は弟のハ郎さんが「おら八郎で姉はナナ子」と紹介したのが始まり。十年前、観光ガイドの仕事に終止符を打ち、黒石ナナ子としてバラエティーの世界で生きる決意をした。八郎さんの舞台の合間に、手踊りや三味線、演歌など芸達者ぶりを披露する。

 仕事には厳しい。だが周囲への心配りを忘れず、面倒見のいいナナ子さんはみんなから「お姉さん」と慕われる存在だ。今年は「第一回県ちびっこ手踊り王座決定選」「津軽五大民謡全国大会」の司会も担当し、楽しいトークで会場を沸かせた。年末には陸奥新報社主催の「名士隠し芸大会」で名司会を披露する。

  「私はアからンまでの言葉を並べ、おしゃべりで人さまからおカネをちょうだいしている。いつも勉強、何でも勉強していかなくてはと思っています」。常に好奇心を持って、自分を奮い立たせる起爆剤探しをしているナナ子さん。六月の緑のように元気でさわやかだった。

 
 
 

 板柳町議会議員

            板柳町大俵字和田                          平成13年1月20日

三戸 玲子さん 「これまでの経験生かし 女性の声を直接議会に」

336.jpg   「わたしより、おとうさんの方が勇気いったべ。清水の舞合から飛び下りた気分だったと思う。わたし自身はそういう時が来たんだべなあって思ったの」。話しだせば立て板に水。はじけるばかりの笑顔と身振り手振りが加わって、思わず話に引き込まれる。さすが政治家と思えば、「わたしは根っからの農業者。畑の緑見ればほっとするよね」と話す三戸玲子さん(58)。板柳町ただ一人の女性議員だ。

 三年前の補欠選挙で初当選を果たし、昨年三月、二期目の選挙をクリアした。初めて議会に臨んだ時、背筋がぶるぶる震えたという。前を見ても後ろを見ても男性ばかり。「男社会の中で、男だけがすべてを決めてきたんだなあとがく然としたの。子どものこと、老人のこと、女のこと。今まで直接声が届いてなかったんだと実感しました」。夫や家族がOKしなければ選挙には出られない女性の立場も痛感したという。

 娘時代は、長女として弟たちを引っ張ってきた。生徒会の役員としても活躍。「おてんばとして有名だったみたい」と笑う。学校を卒業してから、青森市の旅行社に添乗員として勤務。修学旅行に米を各自持参した時代、ツアーコンダクターのはしりだった。旅行先は北海道、目先、東京。旗を持っての先導役はこのころから得意だ。

 五年間働いた後、三歳年上の武さんと結婚した。「たげいい男であったわよ。職業柄いろんな男性見てきたけど、これだけの人はいないと思った。紳士だし、人間性豊かだし、頭もぴか一」とのろけて見せる玲子さん。シャイな武さんは隣で知らぬ振りを決め込む。

 結婚後は本家の嫁として旗を振ってきた。田んぼと畑が玲子さんの仕事場。「若妻学級」をつくり、集落の若い嫁を集め、勉強会を開いた。子どものしつけ、家計簿のつけ方、料理に避妊。中絶して女性の身体を傷つけないように女性たちを対象に避妊の勉強会を開催したり。

 三人の子の子育ての傍ら、「自分の勉強のため」とPTA活動、地域の体育指導員、農協女性部の部長などさまざまな活動に係わってきた。それらの活動、勉強してきたことの集大成は何だろうと考え始めたころ、選挙の話が舞い込んだ。

  「我が家にとって必要な玲子だから」とそれまで首を縦に振らなかった武さんだが、「玲子のおかげで我が家も自分もここまできた。これからは玲子は玲子の人生があっていい。ワが選挙に出るのと、玲子が出るのは意味が違う。女が出ることに意味がある」と三年前にゴーサインが出た。

 さまざまな経験を踏まえ、議会で質問できるのが玲子さんの強みだ。サパサパと竹を割ったような性格の玲子さんだが、議会では食い下がる。男性陣相手に、辛口の議論を展開する。「しっかり物はいいます。みんなが支えてくれたんだもの、みんなのために頑張らねば」 玲子さんが今一番心配しているのは、未来を担う子どもたちのことだ。女性が安心して働け、子どもも老人も幸せになれる町づくり。そして第二の女性議員の誕生が願いだ。「津軽には本当にユニークな女性がいる。あと必要なのは家族の理解と協力です」

 玲子さんの職場であるリンゴ園の木々は、深い雪の中で今静かに眠っている。ハウスに案内し、「これがわたしのつくった白菜。甘くておいしいよ」と自慢する玲子さん。議員の仕事と農業と。男女共同参画社会の最先端で活動する玲子さんは、農家の元気な母さんでもあった。

 

 

 スペイン語講師

            青森市在住                                         平成13年10月6日

マリア・デル・マル・
サンチェスさん
「常に前向き堅実な女性 今を大切に生きていく」
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 「ブエナス・タルデス」「ブエナス・タルデス・セニョールサワダ」。あいさつを交わし、 次々と生徒たちが教室に人ってくる。「ブエナス・タルデス」とはスペイン語で「こんにちは」。笑顔で迎えるのはスペイン語を教えるサンチェスさんだ。

 週一回開かれる「イベリア文化研究会」のため、サンチェスさんは青森から弘前にやって来る。日本に来て十九年になるサンチェスさんは日本語がペラペラ。じょうずな日本語を交え、スペイン語を教えていく。

  「筆箱の中には何かありますか?」「ラピセス・デル・コロラス(色鉛筆)」。YESはシィー、辞書はディクショナル、テレビはテレビシオン。慣れてくると英語に似た単語が耳に飛び込んでくる。いかにも南国らしいきびきびとした発音のスペイン語は、聞いていて気持ちがいい。

  「イベリア文化研究会」はスペイン大好き仲間が集まり、五月からスタートした。言葉を通して、スペインの生活、文化、歴史などを学ぶ会だ。「スペイン人は自宅でも靴で生活するんですか?」という質問に、「自宅では自分のスリッパに替えます。でもお客さんにスリッパは勧めません。日本人の清潔感とスペイン人は異なるわね。スペイン人は人がはいたスリッパははかない。不潔な気がしちゃう。スリッパから水虫がうつったりしないかしら」と話すサンチェスさんに、「スペインのレストランでは、フォークの隙間に食べかすがつまって出てきた」と生徒。「うそっ、へんなレストランに入ったんじゃないの」。清潔談義で盛り上がる。和やかな雰囲気がいい。

 サンチェスさんは南グラナダの生まれ。十九歳の時、グラナダ大学にスペイン語を学びに来た日本人と恋に落ちた。そして周囲に祝福され日本に。たまたまその相手は青森の人たった。「自分で決めて日本に来ました。十八歳は自分で物事を決めることができる年齢です。母は私の人生が母のものだとは考えていなかったから心配はしたけど、反対はしませんでしたね」

 夫婦で東京で暮らした後、八年前に青森市に帰ってきた。普段は夫の実家が経営する社会福祉施設で事務を採る。「仕事場では義母(はは)は私の上司です。私の祖母も母も働いていたから、私にとって働くことは当たり前のこと」と話すサンチェスさん。スペイン語の講座を開く傍ら、頼まれてスパニッシュオムレツやパエリヤ、レンズ豆の煮込みなどスペインの家庭料理も教える。

 話していて全く違和感がないほど、津軽になじんでいるサンチェスさん。「息子の晋平(しんぺい)(7)が一番厳しい。お母さん、『ず』 っていう発音が違うよってよく言われるの」。津軽弁も周りの人から自然に学び、ヒヤリングならバッチリだ。

 青森の秋が一年中で一番好きだという。スペインは花でいっぱいになる春がいい。「スペインは桜はあまりないけれど、アーモンドの白い花がきれい。スペインには紅葉はないの。十月の青森はとてもきれい。でも雪はいやあね」と顔をしかめた。

 日本に来ての苦労は?と尋ねれば「自分の国の人と結婚しても、いろんな人生の山を越えなくてはだめでしょ。言葉やいろんな違いに慣れるのはそれは大変たったけれど、ほかの人に比べてすごい苦労したとは思ってないの」とにこやかに答えてくれた。

 サンチェスさんのモットーはきちんとその日その日を生きていくこと。常に前向きで、堅実な女性だ。

 そんなサンチェスさんは世界の情勢に不安を抱いている。「スペインのことわざに『人間は同じ間違いをおかす』というのがあるの。スペインでもバスク地方ではよくテロが起きる。戦争のことを考えたら、身近なちょっとしたことなんてくだらないって思っちゃう。戦争にならないといい。人を殺してもどこにもたどりつかないのにね」

その日その日を大切に生きていけば、必ずいい方向に行くとサンチェスさんは信じている。「セニョリータシミズ。スペイン語もやってみてね」。帰る私の背中で、明るい声が響いた。

 
 
 
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