きいきいぎゃぁぎゃぁ。にぎやかな鳴き声が豚小屋の置くから聞こえてくる。「ゆうべうまれたばかりの子豚。かわいっきゃ!」優しい目を向ける長谷川洋子さん(47)。「昔、動物大嫌いだったなんて思えないべ。それを百八十度変えた、だんなの力」隣で光司さん、(49)は胸を張る。
片手にちょこんと乗るほどの子豚を抱かせてもらった。まだへその緒の付いた豚の赤ちゃんは、温かくて柔らか。十二匹の兄弟たちは先を争って母豚の乳房にむしゃぶりつく。
その隣の柵の中では、おなかをすかせた雌豚たちがすごい勢いで一日一回のえさに食らいつく。きょうのメニューはパンとスパゲティと焼きそば。「パン屋の残りや学校給食の余りとか、人の食べる物は何でも食わせる。水は山の湧き水。腹を減らせてから食べさせるから身になる。一頭、一頭顔も違えば性格も違う。いじめだったあるよ」と説明する光司さんは、豚二百八十頭、鶏二千羽、犬八頭、そのほかアヒル、ガチョウ、ヤギ、ウサギ、タヌキなどが暮らすこの長谷川自然牧場の大親分だ。
この地に牧場を開いて十五年になる。昔の農業のやり方が基本。鶏や豚のふんでたい肥を作り、畑に還元。その畑で取れた野菜のくずを鶏や豚に食べさせる。「これが自然循環式農法。今年は完全無農薬の米作りにも挑戦するつもり。畜産を入れた農業は足腰が強い。どんな世の中が来ても怖くないからね」と自信を見せる。
長谷川さん夫妻が畜産を始めたのには訳がある。それまで作っていた葉タバコの農薬の害で光司さんが体をこわし、薬を使わないものをと研究した結果、自然養鶏にたどりついて。土の上を自由に歩き回り、草や虫をついばむ鶏。「詰め込んで育てるのではなく、のびのび育てる。昔の農家はどこでも鶏を放し飼いにしていた。それが当たり前の風景だったよね」
隣でにこにこと光司さんの話を聞く洋子さんだが、ここまで来るのは並大抵でなかったろう。青森市の海辺生まれの洋子さん。「農家と漁師と酒飲みとは結婚しないって決めていたのに。犬も苦手だった洋子が今では豚屋のかっちゃだよって母が驚くの」と話す。
豚をやるなら離婚すると宣言した洋子さんだが、豚の出産に立ち合い、赤ちゃん豚にミルクを飲ませる手伝いをしてから気持ちが変わった。「時間になれば子豚がわたしをブーブーブーって呼びにくる。目を見れば、豚の気持ちや言葉が分かるようになった。あんた一番幸せだってしゃべられる。子供いっぱいいていいねって」 それでもケンカをして実家に帰ろうと駅に行くことが何度もあった。
「ここの電車さ二時間ぐらい来ないの。泣きながら駅で待ってても、もう三カ月我慢するかってそのうち思うんだよね」。長谷川さん夫妻には子供はないが、その代わり全国各地から長谷川自然牧場を見たいといういう若者たちがやって来る。近くの保育園の子供たちや不登校の子供たちも手伝いに来る。休日には卵や肉を買う人も来て、出来る仕事を手伝っていく。「いろんな人に生かされてうちの牧場は成り立っている人生の道の駅って感じかな」
「野菜くずを食べ、ひなたぼっこして育ったうちの鶏の産む卵はおいしいよ」の声に引かれ、手伝いの若者たちと一緒に、昼ごはんを食べた。無農薬の甘いキャベツと豚肉の重ね煮。ぷるぷると元気のいい白身とぷくんと張りのある黄身は味が濃くて、絶品の卵ごはんだ。
長谷川さん夫妻の温かい人柄が人を集め、自然牧場はいつもにぎやか。岩木山を正面に眺めながらの生活は厳しいけれど温かい。「今だばサラリーマンの嫁になってただ家でばほってしているよりずっといいって思う」と楽しそうに話す洋子さんの耳元で、「わたしなりの抵抗」だという小さなピアスがキラリと光った。
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