歌集「桜雨」より
耳たぶを飾る小さなオニキスが
真先に冷えて今宵雪待つ
わが臓器みな孤独なり桜咲く
この夜も醒めて生きて働く
ブラウスのボタンひとつ取れかかり
それよりわれはほつれはじめつ
ひまわりを冬の花屋に買ひ求め
坂のぼるとき空へ近づく
風のドアそよりと押してふるさとに
入りてゆかん 草色のドア
昨年の春、十二年ぶりで故郷の弘前に戻った。「自分で気持ちよく呼吸できるところで暮らしたいと思ったんです」。
東京と横浜で過ごした十二年間は、雪にこがれた月日だったという。「弘前は正しく呼吸できる町」と言って笑って見せた。
この人の写真を撮るのなら、緑の中で。そう思い、二人で弘前公園を歩き、桜の話をした。斉藤さんの第一歌集のタイトルは「桜雨」。歌集の帯には「津軽を右の肺に持ち、都市を左肺に持って、現実を見つめる抒情歌」とある。歌集には津軽人の視点で見た都会の姿、空気の薄い、季節感のあいまいな都会から見た故郷への思いがあふれる。
一番最初に彼女を知ったのは、彼女自身ではなく彼女の短歌の方だった。
「雨あとの津軽の若葉すんすんと息をしてをり気孔ひらきて」
思わず深呼吸したくなるようなすがすがしい歌だと思った。気孔をいっぱいに開き、緑の葉が呼吸していると感じる作者の感性。二年前の若葉のころ、「ポエム&ぽえむ」で紹介した歌だ。いつか会ってみたいと思っていたその人が弘前に帰ってきた。
「どんな生活をしていても、書いている時はどこか別のところに旅している。紙の上でいくらでも世界が広がる。若い頃から、紙と鉛筆があればわたしは生きていけるって思っていました」。はにかみながら、そう言って斉藤さんは笑った。
彼女が持ってきたスクラップブックには、高校時代から陸奥新報に投稿したり、掲載された文章がきちんと整理されて張られている。弘前中央高校時代は写真部だったという彼女の陸奥新報デビューは、「写!津軽」。弘前の町の風景写真と短いエッセーが紙面を飾る。ページを繰ると、年齢を経るに従い、最初は饒舌で過飾であった言葉がどんどん削られ、スリムになっていくのが分かる。
短歌と出会ったのは弘前学院大学の学生のころ。「短歌というのは写真と同じ。いろいろなものを取り除いて、ある部分にだけピントを合わせる。その瞬間をとらえるのが短歌」と解釈する。「五・七・五・七・七の七七は余情。多くを言わずに多くを言う、その余韻が人に考えさせる力を持つんです」
津軽に帰り、十三年ぶりに経験した雪のある冬。ビタミン剤より雪さえ降れば元気になるのにと思いながら過ごした東京の冬。今回改めて、冬を耐え、地道に生きている弘前の人の強さ、津軽の作家たちのしんの強さを感じたという。
「周りに白い世界しかないから、自分の内側に目を向ける。作家たちは突き詰めて物を書いたのだと、じょっぱりを実感しました」。斉藤さん自身、自分の中に頑固で、ここぞと思ったことは絶対にひかない、曲げないじょっぱりな面を持つと話す。
今、表現したいと思うのは普通のもの 取り立てて誰も気には留めないけれど、美しいもの、豊かなもの。「なるべく遠くまで言葉を探しに行きたい。歩いていける限り遠くまで。でないと短歌に対して失礼だと思うの」と静かに微笑む斉藤さん。
かつての文学少女は結婚し、子を産み、育て、都会の暮らしという異文化を経験して、大人の女性になった。これから彼女が紡いでいく言葉、短歌はどんな輝きを放っていくのだろう。正しい呼吸のできる町でつくる短歌は閉塞感、飢餓感がない分だけ、ある意味難しい。そのハードルを飛び越すのは彼女の感性だ。
野のはてに春夏秋冬われを待つ白樺のあり
木の妻になる
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