大鰐町の「大日様」の近くで、アイデアル美容室というユニークな名前の店を構える。「大日様」の道筋だけで、今は十軒ほどの美容院が軒を連ねるが、工藤秋江さん(67)が店を開いた四十五年前、大鰐には二、三軒しか美容院はなかったという。
「当時の大鰐は温泉客でにぎわっていて、まだ赤線も残っていた。置屋のおねえさんたちや旅館の女中さんが毎日のようにセットに来てくれました」と秋江さんは懐かしむ。パーマが二百五十円、セットが百三十円という時代だ。
アイデアル美容室という名は辞書を調べて決めた。「あなたの姿に合った、理想的なスタイルをつくりますという意味」と秋江さんはにこやかに笑う。
開店当時、正月ともなれば、芸者さんたちが秋江さんの美容室にやって来て、紋付きに着替え、芸者島田に髪を結い上げてもらい、各旅館にあいさつ回りに行ったという。そんな華やかな情景も今では遠い夢。
南に面した美容室の窓からは、平川に沿って建ち並ぶ旅館が一望できる。雪の茶臼山をバックに、湯煙の上がる温泉街には、郷愁にも似た情緒が漂う。年の暮れは一層の活気を呈したに違いない温泉場も、しんしんと雪が降るばかりだ。
秋江さんは碇ケ関村の生まれ。村の中学を卒業し、弘前の美容院に修行に入った。花嫁さんの支度をする美容院だった。当時は「二日祝い」と言い、自宅で二日にわたり、持参した着物を親戚の人や手伝いの人々に披露したという。
「一日目は髪を島田に結い、二日目は丸まげ。農閑期の冬に結婚式が多くて、一日に二十五人もお嫁さんをつくりました。馬ソリに七輪を置いて花嫁さんを乗せ、相手の家まで一緒に付いていったのも懐かしい思い出」と秋江さん。
その後東京で修行し、二十三歳の若さで店を開いた。「とにかく何でもできる美容師を目指そうと思ったの」。古着の花嫁衣装を買い、「花嫁さんをつくる美容室」としてスタート。忙しい合間を縫って東京に通い、講習を受け、「かつらを結い上げることができる講師」に任じられた。「今はかつらの結い上げができる美容師さん、少なくなったのよ」と秋江さんは少し寂しげだ。
かつらを見せてもらった。箱を開けると、鬢(びん)付油の独特のにおいが広がった。「昔、芸者さんはこの鬢付油のにおいがしたの。男性が懐かしむ香りね」。その言葉から、温泉他大鰐の昔を思った。
やるからには徹底してやるたち、という秋江さん。今でも毎年、新趣帯結びの発表会に出場する。「常に勉強していないと時代に遅れちゃうものね。死ぬまで勉強」と張り切る。二階には色とりどりのカクテルドレスや純白のウエディングドレス、華やかな打ち掛けが並ぶ。ここからたくさんの花嫁さんが生まれたのだろう。
髪を整えてもらいながら、身の上相談をしたり、愚痴をこぼしていくお客さんも多い。
張りのある少女の髪。花嫁さんのずしりとした文金高島田。初々しい若妻の髪。年齢とともに細く柔らかくなった髪の毛。髪を通して、秋江さんは女性たちの人生を見てきたのだろう。
「先生に付き合って四十年になるなあってお客さんに言われます。一緒にカラオケしたり、旅行に行ったりするのよ」。お客さんと一緒に歳を重ねてきた秋江さんならではの言葉だ。大鰐町の「あぐり」目指して、秋江さんはきょうもお客さんの髪にくしを入れる。
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