野菜のソムリエ 平成16年7月17日掲載
柳沢 泉さん 「地域と農家応援 熱い思い届ける」
 そのバイタリティーはすごい。どんな場面でも臆することばない。ぐいぐいと引っ張っていくパワーは、ダイビングとバイクのツーリングで鍛えた体から生れる。

 今年の二月、「青森県の農家が作った作物を自信を持って薦めたい」と、野菜のソムリエ「ベジタブル&フルーツジュニアマイスター」の資格を取った。タレントの長谷川理恵さんは「ご学友」だ。

 柳沢泉さんは企業組合「あっぷるぴゅあ」を作り、リンゴジュースをはじめこれはおいしいと泉さんが薦める「県産品マイナンバーワン」を販売している。「おいしいから食べてみて」と薦められた名川産のサクランボは肉厚でプリプリ。思わず笑みがこぼれた。

 野菜のソムリエは日本ベジタブル&フルーツマイスター協会の認定資格。昨年の十一月から養成諦座に通い、おいしい野菜や果物の見分け方、栄養学、料理の仕方などさまざまな角度から学び、野菜と果物のプロと認められた。

 泉さんは二十年前、結婚を機に東京の練馬から青森市にやってきた。子育てが一段落してから、婚家の家業である種苗店の手伝いを始めた。農家の人と接する中で、いい作物を作る農家が適正な収入を得ていない現実を目の当たりにした。「青森県は低農繋でおいしい野菜を作ることができる。それをきちんとアピールしていけばいいのに」。

 仕事の傍ら、何かしたいと考え、青森公立大学の公開講座に通った。泉さんはそこで仲間たちに出会う。「自分たちが住みやすいように自分たちの手で地域を変えていこう」。いつかNPOを作りたいと「NPO塾」も開いてきた。青森の農業をもっと元気にしたい。仲間四人で二〇〇三年、「企業組合あっぷるぴゅあ」を設立した。商品と共に農家の人の思い、泉さんたち農家応援隊の思いも一緒に届けるつもりだ。

 この春から泉さんたちが力を注いでいるのが毛豆。収穫時期が遅く、県内でしか消費されていなかった毛豆を全国区にし、ブランド化しようと考えている。「毛豆は関東で植えても育たない。青森だけで上手にできる枝豆。打倒!だだちゃ豆」と思いは強い。毛豆のわせ種である「豊丸」「福丸」を鯵ヶ沢の農家に作付けしてもらい、」今は収穫を待つばかり。七月の末にはビールのつまみ用として県内外に出荷を始める。東京銀座で試食会も予定するなど、攻めの販売を展開する。

 「数がはけるだけの売り方はいや。手塩にかけたものを『思い』も含めて買ってほしい。いいものを作り続けるんだという気持ちが続くような売り方、応援をしていきたい」と泉さんは話す。

 元気あふれる泉さんだが、三年前大病を患った。経験を生かしたいと患者のネットワーク「VOL−Net」を仲間と立ち上げた。病中、病後も楽しくおしゃれに暮らす工夫を細介した冊子「おしゃれBook」を作り、頒布もしている。

 転んでもただでは起きない。パワーあふれる泉さんの周りには、個性豊かな仲間が集まってくる。聡明で決断力があり、直感のさえる泉さんは頼れるお姉さんといった存在。「気持ち良く楽しく生きる」をモットーに、自由に物事を考えられる土台作り、地域が元気になる活動を続けていくつもりだ。

チュール・タピ作家 平成16年8月21日掲載
中館 庸子さん 「心を色と遊ばせ 危うい空間作る」
 逆光の中で揺れる危うげな布たち。向こうとこちらを分けるわずかな隔たり。チュール・タピという不思議な響きに引かれ、弘前市出身の作家中館庸子さんの作品展に足を向けた。

 会場の弘前市立百石町展示館に入った途端、柔らかな色の波に包まれた。チュール・タピとは透ける布を使ったタペストリーのこと。透明な布を何枚も重ね、ぼかし、遠近感を演出。庸子さんは布たちと一緒にみずみずしい空間を作り出した。

 窓に掛けられた白いチュールのタペストリーは、見る角度でさまざまな表情に変わる。しなやかなシルクオーガンジーの作品「茜(あかね)地ぼかし」はグレー、柴、茜、ピンク、紅などさまざまな色が混じり合い、柔らかくうねる。

 「見えるようで見えない。あいまいに区切る。そのあいまいさに引かれます」と話す庸子さんは、透明感のある女性だ。チュール・タピは平安朝の貴族の館に掛けられていた御簾(みす)のよう。かすかに揺れて風の存在を知らせる。布越しに女房、更衣の姿が見え隠れしそうだ。かつて夏を彩った、蚊帳のような懐かしさも持ち合わせる。

 庸子さんは弘前中央高校卒業後上京し、文化女子大短期大学部で造形を学んだ。庸子さんが興味を持ったのは、暮らしを楽しむデザインの数々。卒業後は短大に残って色彩学を研究した。実際に色を使った仕事をしたいとテキスタイルデザインも勉強し、一九九三年から学生と共にチュール・タピの制作を始めた。

 「日本の空間は多用途が特徴。細かく仕切るのではなく、ふすまを開ければ大きな一つの空間になる。その手助けをする調度を作りたい」と庸子さん。囲われ、閉ざされた空間は苦手だという。あいまいにぼかした空間は息苦しさがなく、安心する。庸子さんもまた、とらわれることを嫌う人のようだ。

 日本の文様を作品に生かしたいと、古典模様を探る。青海波模様を取り入れ、能の「猩々波」をイメージした「狸々波」。能衣装の山道模様を取り入れ、三角の山型が幾重にも連なる。午後になり、西日が布越しに差し込んできた。展示館の木の床に、山道模様が影となって浮き上がる。光と布の共演に見とれた。

 「色と向き合い、心を色と遊ばせると気持ちいい」と庸子さん。どの色を選び、色をどう重ねていくか、やってもやっても飽きない、終わらない。昨年は東京銀座の画廊で個展を開いた。今年は故郷弘前で。「二年後にまた弘前で個展を開きたい。いつか弘前に仕事場を持ちたいな」。

 チュール・タピの魅力は柔らかさ、優しさ、軽やかさ。「軽さも日本文化の特徴の一つ」とほほ笑む庸子さんの後ろで、透明な布たちがかすかに揺れた。


NPO法人「キープラネット」理事長 平成16年9月4日掲載
  川野 真理子さん 人と人とをつないで 東京から「青森興し」
 「女は捨てるものがない。あとは拾うだけよ」。開口一番、豪快な言葉が返ってきた。

 これは起業家ネットワーク「キープラネット」の代表川野真理子さん(48)の実感だ。「両親はいない、離婚して夫はいない、財産なし、資格もなし、車の免許さえなく、本当になにもなかった」と大きな笑顔を見せる。おおらかな雰囲気と力強い眼は初対面の相手をとらえて離さない。

 二〇〇二年から、県男女共同参画センターが主催する「女性起業家支援セミナー」のプランニングを担当し、「キープラネット」からよりすぐりの人材を講師として送り込んでいる。自らの講演会も「どうせあたしは、やりっぱなしの女です(笑)」といったインパクトのあるタイトルと内容で聴く人の心をわしづかみにする。「継続と信念は能力を超える」がモットーだ。

 川野さんの言葉はすべて実体験から生まれている。十八歳まで平賀町で過ごした。黒石高校を卒業した後、「田舎にいると嫁に行けと言われそうだし」と上京。父親は高校一年の時に亡くなり、大学進学は断念。専門学校に通った後、二十七歳で結婚するまでキーパンチャーをしていた。

 人生の転機は三十六歳のときだ。四歳の子どもを抱えて離婚。年齢的に正社員の道は無理だと考えた川野さんは、自ら会社を起こした。女性起業家の走りだ。会社を始めたのはいいが、広告の出し方も、経理、企画書の書き方も知らないことにがく然としたという。「分からないことだらけ。分からないことを聞く人もいなかった。一緒に勉強する仲間がいたらと思いました」という川野さんの思いがやがて「キープラネット」の誕生に結びついた。

 個人起業家たちを支援するネットワークを作ろう−。一九九九年「キープラネット」を設立した。きっかけのキー、惑星(プラネット)のようにつながって広い宇宙みたいになろうよという願いを名前に込めた。競争ではなく協働の時代が始まってほしいという川野さんの発信だった。

 最初は十数人の女性起業家でスタートし、現在は会員二百人を超した。七割が元気な女性たち。会員にはメールアドレスを作ってもらいメールでお知らせを出す。「だから一人でもやってこられた」と川野さん。

 自分が知りたいことを中心にスキルアップのための講演会、講習会、研究会を開き、会員の交流を進める。主婦から起業家になった会員も多く、会員の体験談は宝の山だ。

 「好きなことをしていればエネルギーは枯れない。嫌なことをしていれば駄目。だからどうしようもなく突き上げてくるものを持たないとね」とにこやかに話す川野さん。講演などで全国を飛び回り、地域を元気づける。

 二〇〇二年、「キープラネット」はNPO法人に認証された。川野さんは日経ウーマンや東京新聞などで紹介される存在となった。これから川野さんがしていきたいのは東京からの「青森興し」だ。「東京に住んでいて青森に望郷の念を持つ人の思いをかなえたいの」。農家や空き家を借り、会員のふるさと別荘にしたり、ミズや津軽漬など郷愁を誘うものを詰めて送る「ふるさと宅急便」を実現したいと考えている。夢は口にした時から実現に向かうというのが川野さんの持論。口にした以上、必ず実現させる。それが川野真理子だ。


釜 師 平成16年9月18日掲載
鈴木 志衣子盛久さん 「来月1日弘前で個展 繊細な南部鉄器披露」
 フランスのボルドーといえばワインの名産地。ボルドーの街で四月十五日から三十日まで、書の初個展を開いた女性がいる。「黒い髪、こじんまりした鼻、細い目がフランス人にとってはあこがれ。神秘的な美人と言われたのが一番の収穫かな」と笑顔を見せるのは工藤久美子さん(54)。隻葉(そうよう)の雅号を持ち、東工業高校、弘前高校、尾上総合高校で書の指導を行っている。

 ボルドーの街はパリから新幹線で三時間。日本の大阪、名古屋に匹敵する都会で、水道などローマ帝国時代の遺跡が点在している。街の周辺には広大なブドウ畑が広がり、ボルドー大学を有する学都でもある。

 久美子さんの個展は、弘前大学に在学する娘の知絵さん(21)が姉妹校のボルドー大学に留学したことから実現した。個展を開くならば、美術展の企画などアートマネージメントも勉強している知絵さんに企画を任せたいと久美子さんは考えていた。ボルドー大学に留学が決まった時、「初個展はボルドーで」という夢が久美子さんの胸に沸き上がった。

 昨年の十月、知絵さんが留学してから久美子さんは個展に向けて作品を書き始めた。フランス人が見て楽しめるようにと、甲骨文字や近代詩文、一字書などさまざまな作品を仕上げ、知絵さんに送った。

 作品を持って知絵さんはボルドー市内を歩き回り、文化人の集まる古い大きな書店を展覧会場に決めた。四月の初めに渡仏した久美子さんは会場の雰囲気に合わせておしゃれな額を選び、作品を展示していった。甲骨文字で書かれた馬や星、行書体で象現された無数の蝶々が紙の上で飛び跳ねる。作品の下にはフランス語でパピヨン、パピヨン、パピヨンなど訳を付けた。

 作品展のタイトルは「一人を楽しむ」。昨年秋、三十五年開所属した書道グループから独り立ちした。その前年、大病を軽験した久美子さんは命の極限を意識し、これからは自由に好きなことをやろうと心を決めたのだった。「会を離れ、これからはどう書いてもいいんだと思った時、一人を楽しむというタイトルが浮かんできました」。

 フランスでの個展は、久美子さんに書の世界性を実感させてくれた。二十一歳で近代詩文書の父と呼ばれる書家金子鴎亭氏の自宅に内弟子として住み込んだ久美子さんに、金子さんは書の世界性を語ったという。「文字は絵から始まり、いつかまた絵に近いものとなって世界中が同じ文字を使うようになる。そうすれば紛争はなくなるというのが先生の考え方でした。それはヨーロッパのユーロに通じるものだと気付きました」。

 書道展を見てくれたフランス人たちの温かい反応も心に残った。異文化を受け入れようという温かい視線を感じたという。ボルドー大学で日本文化を学ぶ学生に書の授業も行い、スペイン人、タイ人、中国人などたくさんの友人もできた。

 来年はボルドーで二回目の個展を開きたいと考えている。「言葉を越えて世界の人に伝わるような作品、絵と文字の境目のないような作品を書きたい」と話す久美子さん。ボルドーで近代詩文の伝道者になれたらいいと思っている。

NPO法人「ウィメンズネット青森」理事長 平成16年10月2日掲載
 三上 久美子さん 「夫からの暴力はNO 被害女性の自立支援」

 ドメスティック・バイオレンス(DV)という言葉を聞いたことがありますか?

 夫や恋人などパートナーから受ける暴力のことをいう。殴る、けるなどの身体的な暴力だけでなく、生活費を出さないなどの経済的暴力、性行為の強要、避妊に協力しないなどの性的暴力、「誰のお陰で食べているんだ」「役立たず」などの言葉を発する精神的暴力などさまざまな形がある。

 これらDVを受けている女性のいわば「駆け込み寺」的存在がシェルターだ。女性からの電話相談、シェルターの運営、話し合いの場を提供するNPO法人「ウィメンズネット青森」を運営、コーディネートしているのが三上久美子さん(52)だ。

 パワフルで笑顔全開。いかにも頼りになるお姉さん的雰囲気を持つ。「これは暴力なんだと気づくことが大切。周りの人も見てみぬふりをしては駄目。DVの被害者は女性だけでなく、子供も被害者なんです」。

 三上さんがDVと出合ったのは一九九五年北京で開かれた世界女性会議の席上だった。DVのワークショップに気軽に参加した三上さんは、世界の女性たちが人権問題として取り上げているDVが、日本では日常茶飯事であることにショックを受けたという。

 「夫が妻をたたいても、日本ではただの夫婦げんかだと思われてきた。父親か子供をなぐってもしつけだと考えられてきた。でもそれは違うんだと初めて気づきました」。

 まだまだ日本では「DVって何?」「夫婦のプライバシーの問題だ」と考えられていた時代だった。二年間、DVについて勉強し、三上さんが所属していた青森市の女性のネットワーク「A・L」が主体となり、DVに関するアンケート調査を行った。その結果、暴力を受けている、受けたことがあるという事例が五十件見つかった。

 二〇〇一年、日本でもDV法が施行され、DVが広く認知されるようになった。女性たちの力になりたい、理念だけでなく実際に支援したいと二年前、「ウィメンズネット青森」を立ち上げた。会員は現在百二十人。実際に手を貸してくれる正会員と支援する賛助会員からとなる。毎週木曜日に行われている電話相談には、弁護士や精神科医などのメンバーもあたる。

 シェルターの場所は非公開だ。支援活動には危険がつきまとう。暴力を受けた女性が子供と一緒にシェルターに逃げ込んだ場合、「妻に悪知恵を授けたな」と逆恨みされたり、シェルターの場所が明らかになると襲われる危険性もあるからだ。「暴力を振るっても妻は出て行かない、行けないと夫たちは思い込んでいる。子供のころに虐待を受けてきた夫も多く、男性もまた被害者です」と三上さんは話す。

 今後は女性の自立支援を進めたいと、九月には「ウィメンズネット青森」の中に、コミュニティ・ビジネス「キャリエール」を立ち上げた。在宅介護支援、自分の身は自分で守る「セルフ・ディフェンス」の支援、DV被害者へパソコンを教えるなどキャリアアップ支援も始めた。

 「これまで家庭の中で暴力が許されてきたのがおかしい。何かあったらぜひ相談に来てほしい」と三上さん。怒りを活動のエネルギーに代えて、三上さんの忙しい一日が今日も始まる。
ハンコロジスト 平成16年10月16日掲載
白取 幸子さん 「謎を秘めた印章の世界 深い森に分け入る気分」
 書道展に行き、展示された作品の左端に記された署名の脇にポンと押された落款(らっかん)に気を留めたことがおありだろうか。

 古い書籍の蔵書印、版権所有印などをじっくり見たことがあるだろうか。身近なところでは日々お世話になっている銀行印や出勤簿に押す三文判など、気付けは身の回りには「印章」がたくさんある。この「印章」にみせられ、研究する人を「ハンコロジスト」と呼ぶ。

 そんなハンコロジストの一人が白取幸子さん(46)。十月からNHK文化センターで印章講座を開講している。幸子さんは福島県いわき市の生まれ。国学院大学で伝統産業史を学び、陶磁器の様式と流通を研究した。卒業後、東京都大田区大森にある財団法人富岡美術館の学芸員となり、そこで出会ったのが印章だった。

 日本重化学工業の初代社長富岡重憲氏がコレクションした東洋の古美術の中に、明治の政治家市嶋春城の印象コレクション約七百点があった。郵便制度の創設者前島密や池大雅の落款印など歴史的な人物の印章も数多く含まれていた。「印章に何が刻まれているのかしらと読み解くうちに文字の面白さに目覚めました」と幸子さん。

 印章に彫られているのは篆書(てんしょ)。甲骨文字、金文と続く古い時代の文字で篆書の後に楷(かい)書、草書、行書などが誕生した。「小さな印の中に篆書がバランスよく入っているのが魅力」と話す幸子さん。興味をひかれ印章の講座をのぞいてみた。

 幸子さんはスライドを使い、柔らかな語り口で印章の歴史を紹介していく。メソポタミアで紀元前三〇〇〇年ごろ使われていたと言われる円筒印章は、粘土の上をころころところがして用いられた。エジプトの指輪型印章は再生のシンボルであるフンコロガシをかたどったもの。ヨーロッパの印章は宝石を散りばめるなどぜいを凝らし、美術工芸品のよう。

 中でも興味をひかけたのは「糸印」と呼ばれる愛らしい印章だ。幸子さんが所有する糸印を押させてもらった。ブロンズ製の糸印はずしりとした手応え。ちゅうと呼ばれるつまみは獅子がかたどられている。ちゅうはほかに犬、象、ネズミ、ウサギやカメなどの場合もあるという。

 とんとんと朱泥を付け、ゆっくりと紙の上に押し当てていく。最後に体を掛け、指先に意識を集中してなつ印完了。紙の上には不思議な紋章が浮き上がった。「中国の明の時代に作られ、日本と中国間の絹糸の貿易に使われていたのではないかと言われていますが、糸印が押された証文は一枚も残っていない。謎に包まれた印章です」。

 印章の歴史をひもとけば、わくわくするようなドラマが展開していきそうだ。幸子さんは今年の四月、夫俊治さんの故郷弘前にやって来た。「印章という世界があることを弘前で広めたい」と幸子さんは考えている。「印章はただのスタンプとは違う。自分の分身だったり、何かを証明するもの。印章の森の中奥深くに少しずつ分け入っていきたいですね」。時間の旅人となり、謎に満ちた印章世界を旅するのも楽しい。
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