夫婦つれづれ

平成17年12月25日掲載


短歌が2人の道しるべ
  それぞれの世界を詠む



弘前市代官町

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   県歌人懇話会会長
       工藤 邦男さん
   弘前市歌人連盟副会長
       工藤 せい子さん



 こう見えてなかなか面白い人なんですよ」と夫の邦男さん(77)を横目で見やるせい子さん(73)。一見堅物といった感じの邦男さんの顔が穏やかに崩れていく。

 「朝刊の部厚き折り込み広告に男性かつらも混じりゐて 春」。この楽しい一首を邦男さんの歌集「迷路」で見つけた時、なるほどと得心した。

 お二人は共に「潮音」「弘前潮音会」の歌人として活躍。邦男さんが「歯に衣を着せねば多分歯には歯の噛み合い始むるホモ・サピエンス」と切り込めば、せい子さんは「各国の考へる葦集りてなほ避けられぬかイラク攻撃」と受け止める。歌人としても夫婦としても
息の合ったパートナ−だ。

 邦男さんは東北大の機械工学科出身のエンジニアという、聞くからに堅そうなご経歴。一九五四年の正月に縁あってせい子さんとお見合いし、その席上で邦男さんはせい子さんに結婚を申し込んだという。

 「朗らかな人で、おとそを飲んで炭坑節を踊ってくれました」とせい子さん。とんとんと話は進み、四月には結婚式というスピードぶり。今年の四月二十六日で結婚五十年、金婚式を迎えた。

 お二人はなかなかモダンなカップルだったようだ。せい子さんの実家で行われた結婚披露宴では、二人で「ラ・クンパルシータ」を踊ったという逸話が残っている。

  邦男さんと短歌との出合いは早い。二十一歳で「潮音」に入会してから五十六年、飽くことなく歌の道を進み、十二年前から同結社の選者を務めている。一方の せい子さんは女学校時代から歌を作り、東京の女専時代も歌を作り続けたが、結婚、子育てと忙しい日々を過ごし、六六年に「潮音」に入った。お茶、お花、 コーラスに社交ダンスとさまざまなことにチャレンジし、最後に残ったのが短歌だ。

 歌人としては先輩の邦男さんだが、互い の作品を見せ合うことはない。「見せればけなすことになる。絶対に誉めないね。相手がいいものを作ったとしても面白くない。アドバイスされて後でなるほど と思ったり」と邦男さん。「私は素直。すぐに直してますよ」と言うせい子さんに、「そうかね、直したところは見たことないな。先輩とも思ってないだろう」 と笑顔を見せる邦男さん。「潮音全国大会」や歌会などいつでも一緒に行って、周りからうらやましがられる二人だ。
 結婚記念日には毎年二人で桜を眺め、会食をすることにしている。今年は邦男さんが盲腸炎を患い、恒例の行事が延期された。「昔の機械屋の癖で、何でもパーフェクトを狙ってきたけど無理せずにやろうと思ったね」「夫婦二人元気が番」と声をそろえる。

 県内の歌人のよりどころであり、邦男さんが会長を務める「県歌人懇話会」の創立五十周年の記念式典が二十日青森市で開かれる。今年は二人にとって、大きな節目の年となった。

  長年短歌を続けてこられた秘訣(ひけつ)は? と問えば「二人で一緒にやってきたから」と同じ答えが返ってきた。「日常の中で感じたことを歌にしたい。私 が死んだ後、あぁこんなことを考えていたのかと子や孫が感じてくれれば」とせい子さん。「社会の有り様を一歩引き下がって歌にしたり、おかしみのある歌を 詠みたいな」と邦男さん。

 「鍵につけし鈴の音して夫帰る声より先に知れるはたのし」。長年連れ添った邦男さんへの穏やかな愛情にあふれるせい子さんの一首。末長くお幸せに。


夫婦つれづれ

平成14年 8月31日掲載


     28年の歳月が生んだ
       穏やかな2人の時間

      

黒石市甲大工町

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        洋画家
 
      工藤 マサトシさん
           雪  子さん



 工藤マサトシさん(57)の絵を初めて見たのは五年前たった。傾いた教会、思案顔で立ち尽くすピエロ、暗雲立ち込める空。一度見ただけで印象に残る独特の画風。その絵の作家に出会ったのはそれから四年後、昨年の春のこと。

  弘前市一番町の田中屋画廊に並んだ作品には、さまざまな人間模様が描かれていた。赤いカーテンの掛けられた舞台で演じられるドラマ。喜劇であったり、悲劇 であったり、男と女の愛憎や家族愛。「これまで絵を描いて食べてきました」と作者は穏やかな笑顔を見せた。静かに隣にたたずむ妻の雪子さん(49)。

  絵で食べてきたという言葉に私は驚いた。津軽で絵を描く人はたくさんいるが、ほとんどは教師などほかの仕事の傍ら、個展を開くなどの作家活動を行ってい る。絵だけで食べていくことは簡単なことではないはずだった。そして今年の夏、常盤村のふるさと資料館あすかでこれまでの回顧展を開くという知らせを受け た。

 会場に一歩足を踏み入れ、百二十点という絵の数と絵から伝わってくる画家の情念のようなものに圧倒された。二十六年 前に描かれた自画像。豊かな黒い髪におおわれた青年はまっ直ぐな目でこちらを見据えている。年月とともに変容していくテーマとモチーフ。「短くてもいいか ら、強烈に生きたいと若いころは思っていました」とマサトシさんは言う。

 十九歳で絵かきを志して上京。絵画研究所に通いながら、印刷所、アニメの会社、デザイン会社などさまざまな職種を経験した。二十八歳で弘前に帰ってからは絵一筋。

 夜中から朝方まで絵を描き、午後の二時まで眠る生活。明るいうちは喫茶店、ネオンがともるとスナックのはしご。喫茶店とスナック、一日十軒も通ったという。

  「鍛冶町のスナックでひたすり飲みながらデッサンするんです。マスターに預けて絵を売ってもらったり」。そんな生活型二十歳まで続いた。生活の変わり目は雪子さんとの出会いだった。

 行きつけの喫茶店で巡り会った二人の初デートは卓球。「絵かきってもうかるのかなと思っていたんです。高いウイスキーを飲んでいたし」と話す雪子さんに、 「絵が売れたら売れた分、全部一晩で飲んでいたからね」と笑うマサトシさん。

  同棲を始めた雪子さんには笑いごとではなかったろう。一緒に暮らし始めてから、おカネが入ってこないことに気がっいたのだから。「だまされたと思いまし た。この人は自信があって、でも私はすごく不安だった」と振り返る雪子さん。生活の不安から雪子さんが宗教にのめり込んだ時期もあった。

  ともに暮らすようになって二十八年。さまざまなことがあったと顔を見合わす。この二年でマサトシさんの絵は変わった。色調が明るくなり、線がどんどんシン プルになった。子どもも自立し、今はおばあちゃん猫のチャコと一緒に心穏やかに暮らす二人。雪子さんはボランティアに心を傾ける。

  十一月二十八日から十二月三日まで、田中屋画廊でマサトシさんは再び個展を開く。「絵は私の演じる舞台。楽しい絵を描いていきたいですね。自分が楽しい 絵。やっとそう思えるようになった。人生設計がきちんとしているのもいいけど、こんな生き方もいいんじゃない。どんなに幸福でも飽きちゃったら人生面白く ない。いろんなことあって、あきさせないでしょ」。マサトシさんの隣でクスクス笑いをする雪子さん。お互いに歩み寄り、理解し合うために必要な二十八年 だった。


夫婦つれづれ

平成14年 5月25日掲載


     スローライフを楽しみ
        スローフードをつくる

        

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   「野風パン」を主宰する

        板垣 孝尚さん
            清美さん



 アソベの森いわき荘を過ぎ、岩木山百沢スキー湯へと続く坂の途中に、「野風(やふう)パン」のログハウスがある。

 うっそうと繁った杉とから松の森。烏の声、キツツキが木をつつく音でログハウスの一日は始まる。木々の間を、ゆったりと流れる時間。

 板垣孝尚さん(54)、清美さん(43)夫妻は昨年の十二月、クリスマスの日にこのログハウスにやって来た。それぞれの仕事を辞め、ここで自分たちのカントリーブレッド(田舎パン)を焼くために。

 板垣さん夫妻が焼くパンはカレンズ入りのライ麦パンや地元のクルミ、レーズンを入れた丸パン、ハーブ入りのパンなど素朴な味のカントリーブレッドたち。岩手県産のオーガニックの小麦を使い、イースト、防腐剤、乳化剤など添加物は一切使わない自然のパンだ。

  レーズンを水に浸し、一週間かけて酵母の培養液を作る。この液と全粒粉を混ぜ、まるめて発酵するのを待つ。毎日、毎日強力粉と水で大切にこね、四日日でパ ン種が完成する。「ログハウスだと木が呼吸しているから、酵母も起きやすいんです」と孝尚さん。耳を澄ますと、ログハウスの木が呼吸している音が聞こえて きそうだ。

 弘前出身の孝尚さんと熊本県天草出身の清美さんは八年前、大阪で出会った。看護婦であり、栄養教育の指導員と しても働く清美さんの病院に糖尿病で入院して来だのが孝尚さん。「看護婦さんがたくさんいる中で、一番声がでかくて、一番明るかったのが清美さん」と孝尚 さんは笑う。

 二人を結びつけたのがパンだった。「退院すると縁が切れちゃうでしょう。そこで本を見ながらパンを焼いて、清美さんに持っていったのがパン作りの始まり」。天然酵母を使い、孝尚さんが初めて焼いたパンは膨らまずにベロリとして、まるでぞうりのようだったとか。

 結婚後、二人でいつかパン屋を始めたいと仕事の合間にパン作りの教室に通い出す。孝尚さんは一年半、清美さんは三年通い、パン、お菓子、ケーキ作りとマスターしていった。

 なぜ岩木山のふもとなの?とよく聞かれる。そんな時孝尚さんは「住むなら岩木山と決めていました」と答える。学生時代から山歩きの好きだった孝尚さんにとって、岩木山はホームグラウンドだ。

 とは言っても南国育ちの清美さんにとって初めての冬はつらかった。寒い寒いと震える清美さんのために、まき集めに苦労したという孝尚さん。「寒いから帰るって言われたら大変ですから。今から冬のためにまきを切るのが日課です」

  二人は二日に一度、天然酵母のパンを焼く。現在は西目屋の大白温泉にカントリーブレッドをはじめ、アズキケーキやパウンドケーキ、メロンパンやマドレーヌ などをおろし、電話でパンの予約を受けている。「ここまでパンを取りに来てもらい、ここの自然を楽しんでもらえれば。いつかここで小さなコンサートを開く のが夢」と清美さんは声を弾ませる。

 孝尚さんはネバダのカウボーイが調理に使ったというダッチオーブンの料理にも凝っている。「地元の自然農法で育てられた野菜や鶏や豚でダッチオーブン料理を作り、このパンと一緒に食べてもらえたら」と夢は広がる。

 それにはまず仲間作り。「自然農法にこだわった仲間とネットワークを作り、市民に安心な物を提供していきたい」と二人は声を合わせた。

  年内には、中はしっとり、外はパリパリのパンが焼ける石がまを作る予定。「いつまでに完成させると決めずにぼちぼちやっていきます。パンを作るようになっ て、急いじゃいけない、自然てのはスローなんだと思うようになりました」と話す孝尚さん。森のログハウスには、ゆったりスローな時聞か流れていた。

※「天然酵母パン」を購入したい方は三日前までに、「野風パン」 (0172-83-2020)へ電話予約を。


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