ともだち・友達 平成14年6月8日掲載
「76歳・81歳・92歳 パワフルな3人組」

山崎 良重さん 楠美 貞子さん 矢田 ヤエ子さん


 「今度ないと思って、今日はうんとおしゃれしてきたの」「そうよ年取ったらなおさらきれいにしていないと」「矢田さんは私たちの目標。このパワー、化け物みたいでしょ」

 明治四十三年生まれの矢田ヤエ子さんは満九十二歳。自分で縫ったというスーツ姿で登場。楠美貞子さん八十一歳、山崎良重さん七十六歳。合わせて二百四十九歳というパワフルな女ともだち三人組だ。

 矢田さんと山崎さんは絵描き仲間。四月の末に初めて二人展を開いた。矢田さんはボタン、白ユリ、ポピーに紫陽花と大好きな花や岩木山がテーマ。山崎さんは奥入瀬の四季を二十五点の油彩画に仕上げた。

 六十五歳まで洋品店を営んできた矢田さんは六十六歳から水彩画を、七十五歳で俳句を始めた。会場に展示されていた俳画「年召さぬ雛にあやかり度く候」という自作の句は矢田さんの心境だろう。

 山崎さんは絵筆を握って四十三年というベテラン。「二歳の子をおぶい、六歳の子の手を引いて三脚と絵の具を持って近くの田んぼで絵を描いたのが始まり。描くのに夢中になって子どもが川に落ちたこともありました」。三十六歳で絵画グループ国土社に初出品、初入選。六十五歳から美術団体「旺玄会」に出品を始め、二年前に会員となった。「私もいつか絵を描いて光を浴びたいなと思い続けてここまで来ました」と優しい笑顔を見せる。

 矢田さんと楠美さんは四年前、NHK文化センター「般若心経」の講座で出会った。「あんまりすてきな方なので私より年下だと思って、大正何年生まれですかと聞いたら明治生まれというからびっくりしたの」と楠美さんは矢田さんとの出会いを話す。

 NHK文化センターから住吉町のバス停まで歩き、そこからバスで自宅へ帰るという矢田さんのパワーに圧倒された楠美さんは、すっかり矢田さんのファンになった。

 楠美さんのおしゃれのお師匠さんは矢田さん。七十歳からイヤリングを付け始めたという矢田さんにあやかり、楠美さんの耳元にもイヤリングがきらりと光る。

 楠美さんは弟の故金石花さんが創立した洗心書道会のメンバーとなって二十年。作品展ではみやびな仮名、気品ある漢字作品を披露する。楠美さんは七十三歳から、弘前で独り暮らしを始めた。「板柳町から五所川原に嫁いで四十年。草取り、ごはん支度に忙しく、自由に出歩いたことがなかったの。矢田さん、山崎さんと友達になれて、今が一番幸せ」とほほえむ。

 矢田さんは折に触れ、感動したこと、心に響いた言葉や新聞記事をノートに書き取っておき、二人に披露する。「数病息災。一笑一若、一怒一老。氷川きよしでも仲代達矢でもいいから、いつでもプラトニックに思う男性がいないとね。ずーっと生きられるって思ってらっしゃいって二人に言っているの。そのうちぽっくりいくから、それまではやりたいことをやってね」

 「趣味は天然の薬」と三人は声を合わせる。「趣味を持って、自立して、自分を管理することが大切。若い人に負担をかけないようにね」。おしゃれで明るくチャーミングな先輩たち。そのパワーに脱帽。



ともだち・友達 平成14年7月13日掲載
「親子ほど年の違う友だちもいいよね」

黒滝 郁さん 西沢 三子さん

 早朝の弘前公園。午前五時。西沢三子さん(82)が東内門近くのあずまやに到着する。ポットにお湯を詰め、せん茶のティーパックとお菓子を持って。そうじをし、お茶の準備をしてみんなが集まってくるのを待つ。

「おはようございます」「おはようごす」。それぞれにあいさつを交わし、一日が始まる。このあずまやは弘前公園を散策する人々の憩いの場。退職した男性陣、商店のあるじ、散歩が日課の女性など、西沢さんのお茶を楽しみにたくさんの人が集まってくる。

 黒滝郁さん(61)もその一人。「西沢さんの笑顔が大好き。こんな風に歳を取れたらいい。私の目標」とチャーミングな笑顔を見せる。

 このあずまやに集う常連さんは六十歳代から八十歳代まで約三十人。みんな西沢さんのお茶と仲間との会話を楽しみに毎日弘前公園にやって来る。あずまやのそばを通る観光客、部活の高校生、散歩中の老夫婦、誰にでも「おはよう」と声を掛け、お茶に誘う。声に誘われ、常連さんになった人も多い。

 この会の始まりは三十年ほど前。五十歳台だった西沢さんの仲間八人で朝の集いを開いたのがきっかけ。「ちょうどみんな子育てを終え、息子に嫁が来たころ。朝早くからカタカタ起き出すと、嫁さんに迷惑をかける。だったら近くの弘前公園に朝五時に集まって、おしゃべりしようって始まったのさ」と西沢さん。

 本丸の芝生にまあるくなって、孫のこと、よもやま話、昔のことなどを話した。その時のメンバーで今もここに通うのは西沢さんだけとなった。よほどの台風でもない限り、雨降りでも毎日ここにやって来る。「来ないと一日損した気になるの。みんなで話コして、大笑いして、六時半にはさようなら」

 黒滝さんがここに通うようになったのは四年前。大阪にいる孫に桜の写真を送るため、弘前公園にやって来て、「お茶飲んでいけば」と声を掛けられた。

 「昼間は実家の写真館の仕事、夜は飲みに行くのが忙しくて、朝しか自分の時間がない。それまでは弘前公園って花見のころしか来ることがなかったけれど、毎日来るようになって発見があるの。こんな古い木があったんだとかね」

 黒滝さんは毎朝六時、あずまやに到着。ここで西沢さんのいれてくれるお茶で一服。そのあと本丸まで歩き、軽く体操するのが一日の始まりだ。

 春の桜はもちろん、すがすがしい新緑、四季折々の花、秋の紅葉。朝の公園にはゆったりとした時間が流れていく。集いは雪が降るまで続けられる。「歳いったっきゃ、これが一番の楽しみ。私だば今が青春。痛てとこもないし、今が一番いいね」と西沢さん。

 「こういう場所を持っている私は幸せ。緑はいっぱい、空気はいいし。親子ほど違う友達っていうのもいいよね」。朝の公園のアイドル二人、とっておきの笑顔を披露してくれた。


ともだち・友達 平成14年10月19日掲載
仕事に生きる大人の女と男


青山 洋子さん 成田 孝文さん 中畑 肇さん 堅田 敏治さん

 きょうは皆、びしっと決めてきた。「七五三みたいでしょ」と笑うのは、久しぶりにスーツを着込んできた中畑肇さん(44)。弘前市内で映像会社を営む。

 カメラを担ぎ、映像を作るのが中畑さんの仕事。いつもは「今、白神山地から戻りました」といった感じのラフなアウトドアウエアを着用している。「やんちゃな大人」。そんな雰囲気の持ち主だ。

 真ん中にどしりと腰を据えるのは弘前市土手町にスタジオを構える「弘前舞台」の成田孝文さん(43)。闊達(かったつ)にしゃべり、かつ飲み、よく笑う。グループの重しといった役どころ。

 紅一点の青山洋子さんは仲間うちの「お姫様」。弘前市森町で「ヒロサキバレエカンパニー」を主宰する青山さんにとって、中畑さんと成田さんは仕事仲間であり、飲み友だちでもある。

 三人が集うのが堅田敏治さん(42)が営む弘前市新鍛冶町のスペイン料理の店「さい庵」。

 鼻の下にひげをたくわえた堅田さんは陽気なラテン系。「敏(びん)ちゃんは四人の中で一番大人。どんなにわがままを言ってもすべて受け入れてくれる。我々の潤滑油」と三人は声をそろえる。

 ワインが大好きな四人。今日は堅田さんが選んだスペインのワイン「ピュドモンテ」で乾杯。堅田さんは店が一段落してから、仲間に加わる。

 ダンディな男性三人とおしゃれな青山さん。それぞれにチャーミングな大人たちは見ていて絵になる。

 堅田さんはその昔、西弘でバー「カルチェ・ラタン」を開いていた。青山さんはそのころからの友人。

 中畑さんは二十歳代、県内の映像会社でカメラマンの助手として働き、三十歳で独立した。しっかりとしたカメラワークで舞台に立つ青山さんをとらえる。

 成田さんは東奥義塾高校時代から、文化祭といえば音響を担当していたという。二十歳台はフリーのミキサーとして働き、一九八八年に「弘前舞台」を設立した。青山さんのバレエコンサートでは、もちろん音響を受け持つ。

 「楽器が好きだったから、ほんとはミュージシャンになりたかったんです。自分ではできなかったから、舞台に携わっていたかった」と成田さんは話す。

 「表に立つ人はあこがれ。舞台に立てなかったけれど、だからせめて表舞台に立つ人を支えたいんだよね」と中畑さん。

 「成田さんは年は若いけどおやじ」「中畑さんは子どもっぽいちゃなべこ」「敏ちゃんはいやし系スペイン料理人」と三人を評する青山さん。

 お互いに仕事となればガンガン物を言い合う。「一生懸命仕事をするところが最大の共通点」「ここで飲んだくれているとあしたのエネルギーが沸くのよね」と盛り上がる。

 「いつかみんなでスペインに行こう」が合言葉。「日西友好協会のメンバーでもある四人はスペインが大好き。いつの日にか仲間でツアーを組み、スペインに行く日を夢見ながら、ひたすら仕事に精進中だ。



ともだち・友達 平成15年2月22日掲載
「楽しくパワフル 夢を織るさをり」

小山内 典さん 成田 雪江さん

 赤や黄色、緑にオレンジ、さまざまな色の糸が重なり合い、溶け合って織りなす「さをり」。眺めるだけでなんだか楽しい。パワフルな織物だ。成田雪江さん(67)と小山内典さん(57)、仲良し二人を夢中にさせ、結び着けているのがこの「さをり」。

 「太い糸でも細い糸でも素材を選ばず色遣いも自由。絵を描くように織る。それがさをりの魅力」と話す成田さんと小山内さん。二人は五年前から作品展を開いている。

 「二人ならできる。二人だからできるの」。二人が出会ったのは三十五年前のこと。成田さんはろう学校の養護教諭、小山内さんは青森盲学校の養護教諭になったばかりだった。「成田さんはおしゃれで好奇心が旺盛。何でもしゃべることができる先輩」と小山内さん。「十歳年下だけど小山内さんは大人。年齢差を感じさせない人」と成田さん。

 「赤毛のアン」と洋服が大好きという二人はすっかり意気投合し、お互いに仕事の悩みを相談する間柄となった。

 「退職後は何をしよう」と試行錯誤していた成田さんが定年間際に出合ったのがさをりだった。独特の色彩と風合いに魅了され、早速織り機を購入。さをりの存在を知った小山内さんもすぐに織り機を買い求めた。即断即決、即実行の手際よさは二人ならでは。それぞれ仙台にさをり織りを学びに行き、それからは手さぐりでさをりを楽しんできた。

 「自由な発想でできるのがいい。びちっとやりなさいというならやらなかったわね」。二人の生き方もこだわらずおおらかにがモットーだ。

 作品を拝見するとそれぞれ性格が表れている。織り機に向かい、ひたすらに織り上げる小山内さんの作品は堅実な仕上がり。一方成田さんは遊び心を入れた作品が多い。

 成田さんが最近ひかれているのは「糸遊び」。紙にべったりとのりを塗り、その上からさまざまな太さの毛糸や色糸を貼り付け、ちりばめてゆく。そのまま紙の上からミシンをかけ、水で洗うと紙が溶けてレーシーで不思議な布が完成する。さをりとこの「糸遊び」を合わせたベストやブラウスが成田さんの作品だ。

 二十八日から三月二日まで弘前市上瓦ケ町のギャラリーデネガで開かれる二人の作品展は温かい色彩にあふれる。小山内さんは丁寧に織り上げた布を使って仕上げたコートや帽子、おしゃれな上着やトッパー、成田さんはさをりと糸遊びを合わせたツーピースやジャンパースカート、ブラウスやコート、それぞれほかでは手に入らない、たった一つの作品だ。

 二人は四月から常盤村にオープンする知的障害者授産施設「玄輝門」で入所者にさをりを教える。「玄輝門の仲間展もいつか開きたいね」と夢を語る二人。常に新しい作品、新しいことにチャレンジする二人は正真正銘の「げんきもん」。パワーあふれる二人展、どんな作品が並ぶかお楽しみに。


ともだち・友達 平成15年3月15日掲載
 「父の精神受け継ぎ 地域から文化発信」


吉浦 貴子さん かさい のりこ さん

 平賀町の保育園で子供たちにパフォーマンスを披露する二人の女性に出会った。かさいのり子さん(53)は津軽の話っこ「こぞっこまだだか」の読み聞かせ。吉浦貴子さん(36)はとんがり帽子をかぶった魔法使いの娘になりきって、見事なマジック。「ぷわぷわぷー」と呪文を唱えて、子供たちを魔法の世界に引っ張り込んだ。

 童話作家でもある二人は、県民文化祭文芸コンクールの授賞式で知り合った。かさいさんは「モグラ会議」、吉浦さんは「本当のごめんなさいが言えなくて」で、一九九五年、それぞれ佳作賞を受賞した。かねてから書く仲間が欲しいと思っていたかさいさんが「弘前の人だよね」と吉浦さんに声を掛けたのがそもそもの始まりだ。

 「弘前には知り合いが全くいなかったので、すごくうれしかった」という吉浦さんは遠い沖縄県の生まれ。その後折にふれてかさいさんが吉浦さんにアタック。「しつこくお誘いしたのよね。ストーカーのように」と笑うかさいさん。二人は今、県児童文学研究会の編集スタッフとして一緒に活動している。

 かさいさんは結婚してから童話を書き始めた。ある時、書店で北彰介さんの童話「赤いくし」を見つけ、北さんの主宰する県文研の門をたたいたという。

 かさいさんには忘れられない思い出がある。北さんが紹介してくれた県文研の弘前のメンバーの一人、青山司さんに自作の童話を見せたところ、「子供を愛していない、子供に優しくない」としかられた。「一人で書いていけるとおごった気持ちがありましたが、その時初心に返りました」

 かさいさんにはもう一つ夢がある。それは長岡輝子のようなおばあさんになること。「八十歳になっても九十歳になっても自分の書いたものを読んだり、語ったりしたい。子供たちの前で語るのはモルヒネのような快感」とかさいさんは話す。

 一方の吉浦さんは一筋に童話を書くタイプ。九六年には「第三回盲導犬サーブ記念文学賞」大賞を受賞。昨年は小川未明賞にチャレンジし、現在は四月が締め切りというコンクールに向けて百二十枚の童話を執筆中だ。

 「吉浦さんはこれから世に出る人。応援したい。先を走っている人は道を示すことが大切だと、亡くなった青山さんから教えてもらいました」とかさいさん。「作品の批評になるとのり子さんは厳しいですよ」と吉岡さんは笑う。

 「ここに住んでいる人がここの言葉で書いたものを子供たちに読ませたい」。そんな思いがいっぱい詰まった県文研の機関紙「ずぐり」がもうじき完成する。ものを書く先輩と後輩。子供たちの笑顔をパワーに、それぞれの子供の世界を描いていくつもりだ。


ともだち・友達 平成15年4月5日掲載
「弘前を“着物美人”の町に 土手町でアピール計画中」

宮崎 直子さん 千葉 陽子さん

  料亭の女将(おかみ)といった風情で現れたのは弘前市新町で自然食品の店「みるく」を営む千葉陽子さん(46)。紫の着物姿が決まっている。

 でもよく見ると「ン?」。半えりと帯と八かけが同じ模様でコーディネートされ、帯あげがちょう結び、八かけの脇にはフクロウのブローチが留められている。一風変わった着こなしだ。

 「弘前を着物美人の町にしたいの。これは三分で着ることができるきものワンピース。これなら着付けも必要なし。誰でも着物を楽しむことができるでしょ」

 千葉さんと手を組んで着物美人の町構築をもくろむが宮崎直子さん(53)。笑顔が抜群に明るいラテン系の空気を漂わせる女性だ。子供のころからニックネームはソーレちゃん。「オー・ソーレ・ミオのソーレ。太陽よ」と大きく笑う。

 洋装で登場した宮崎さんは待ち合わせ場所の喫茶店でおもむろに服を脱ぎ始めた。小さな風呂敷包みを解いて、あれよと言う間にタンクトップの上にするすると着物を着てしまった。春の闇に桜吹雪の舞うあでやかさ。

 耳にはイヤリング、指には大きなリング、足元は黒いパンプスといういでだち。朱赤の帯あげをささっとバラのコサージュ風にあしらって完成だ。「自由に楽しく着るのが一番」と胸を張る。そんなあねご的な宮崎さんにほれ込んだのが千葉さんだ。

 千葉さんの自宅の家業はもともと牛乳屋さんだった。お客様の健康を保つ仕事がしたいと自然食品も扱ってきた。そして今はまっているのは女性をよりきれいに、元気に見せる「きもの」という素材だ。

 一方の宮崎さんは長年ファブリックの会社でイベントプロデュース、広告などを担当してきた。四十五歳の時、親しかった同僚の女性ががんで倒れた。その女性から「どっちみち人間は死ぬ。本当にやりたいことをやりなさい。夢は先延ばしにしないで」と言われたことが胸に残った。「満足しているつもりだったけれど、いつの間にか、わくわくドキドキがなくなっていたことに気づきました。楽しいという字は太陽に向かって人がワッハッハと笑っている姿。人生、楽しいことをしよう、好きか、嫌いかといったら好きなことをしようと思いました」

 会社に辞表を出した。さてこれから何をしようと考えていた時に出合ったのが三分で着る着物だった。見た瞬間、「これだ」と思ったという。「三分で着る・洗える」をキャッチフレーズに、きものワンピースを広める会社「ご縁庵」を経営する。

 武器は「日本」。世界に向けて日本の文化を発信する気構えだ。どこでも簡単に一人で着ることのできる着物があれば、海外旅行でも「日本」をアピールできる。

 日本各地でショーを開き、観客を舞台に上げて即、着物姿に仕上げて見せる。昨年の秋には、着物美人百五十人で銀座をパレードした。

 千葉さんと宮崎さんは今、弘前さくらまつりでのデモンストレーションを企画している。和装ワンピースきものをまとい、二十五日の午後三時、弘前パークホテルから弘前城まで土手町をパレードしたいと考えている。「ファッションショーも開きたいわね」と夢を描く二人。「着物を着てみたいけどできなかった人、洋服感覚で気軽に楽しんでみてほしい」

 弘前の町を着物美人でいっぱいにしたい。そんな夢を共有する元気いっぱいの二人だ。



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