ともだち・友達 平成15年4月19日掲載
「女性だけで観光ガイド 弘前の良さを伝えたい」

櫛引 梅子さん 奈良 祐子さん


 「アパ・テ・ドラ」。奥様お手をどうぞ−。「フランス語みたいですてきでしょ。でもれっきとした津軽弁よ」。櫛引梅子さん(64)と奈良祐子さん(59)は2001年8月、二人でエージェントを対象としたボランティア観光ガイド「アパ・テ・ドラ」を立ち上げた。

 女性だけで観光ガイドをしたい。だから「アパ、手を貸して」。そんな願いから付けた名前だ。

 梅ちゃん、祐子ちゃんと呼び合う二人は弘前ボランティアガイドの会で出会った。櫛引さんは弘前生まれだが、ご夫君の仕事の関係で三十年近く東京方面に住み、定年を迎えた夫と共に1996年に帰郷した。

 「こちらに帰ってきたら浦島花子さんだったの。改めて弘前のことを勉強したいという気持ちから、市と観光協会などが主催した弘前観光ボランティアガイド養成講座を受講しました」

 奈良さんは生粋の弘前人。弘前で生まれ、弘前で育った。高校卒業後、バスガイドとして観光客に接し、楽しかった思い出を持っている。「辞めた当時、バスを見るとまた乗りたい、マイクを握りたいと思いました。弘前で観光ボランティアガイドを募集していると知り、やってみたいと二期目に申し込みました」

 養成講座修了後、観光ボランティアガイドとして二人は活動を始めた。行動力があっててきぱきとした櫛引さん、見かけよりもしんが強いという奈良さんはすっかり意気投合。〇一年に独立し、「アパ・テ・ドラ」を設立した。

 弘前公園はもとより、青銀記念館、りんご公園、追手門広場、冬場は長勝寺、最勝院五重塔へと県外からの観光客をガイドする。二時間でガイド料は一組千円。多い時は一人で観光客二十人のガイドをこなす。「きちんとお金をもらうことで自分自身の意識も高まる。勉強しなくちゃいけないと思いますね」

 東門から入って内門をくぐり、与力番所、丑寅(うしとら)のやぐらを見、北の廓(くるわ)を通って本丸へ。雄大な岩木山の姿を堪能してもらった後、桜のころなら西堀の花のトンネルを抜け、追手門へと観光客をいざなう。

 「知ったかぶりはしません。分からない時は今度まで勉強しておきます。またおいでくださいって言うの」、「弘前城に一歩足を踏み入れた途端、花の素晴らしさに皆感動してくれます。興奮して誰も話は聞かないわね」とにこやかに笑う櫛引さんと奈良さん。

 二人が望んでいるのは、一緒に活動してくれる仲間が増えること。エージェントからの需要が増えて二人では対応できないことも多くなった。
 「女だけで頑張りたい。旅行客も女性が多いから安心してもらえる。女同士のほうが話しやすいしね」と二人。

 弘前城の桜のつぼみも赤みを帯びて、今にも弾けそう。軽快な津軽弁で桜の美しさを観光客に伝える日も近い。




ともだち・友達 平成15年6月21日掲載
「弘前の楽しさを伝えたい ギャラリーマップ作成中」

竹内 由美さん 須藤 三恵さん 行方 泰さん 今 由香さん

 「さあ始めるよ」。須藤三恵さん(44)=写真左から2人目=のかけ声の下、「弘前見探図(みたんず)」のメンバーがテーブルに顔を寄せ合う。

 集合場所は弘前市和徳にある「竹与商店」。ござや雑貨、あい染め製品を取り扱う店を切り盛りする竹内由美さん(48)=写真左=はメンバーのお姉さん的存在。「どんとこい」といった雰囲気で暖かく包み込む。

 いつもニコニコ顔の今由香さん(42)=写真右=はイラストが得意。黒一点、落ち着いた物腰の行方泰さん(32)=写真左から3人目=がじっくり脇を固める。

 「弘前見探図」とは津軽弁で「弘前見た?」といった意味合い。もともと一九九五年に弘前市が始めた事業「ひろさき創生塾」の一期生とし集まったメンバーだ。

 弘前大好き人間ばかり。共通点は好奇心旺盛なところ。「やっぱはまりではありません」と声をそろえるが、「行くガってせば、すぐ行くタイプばかり」と笑う。

 これまでに弘前を歩いて楽しんでもらうための観光・生活地図「弘前見探図」、アップルパイの美味しいお店をはじめお薦めの夜景、岩木山のビューポイントなども紹介した「新版・弘前見探図」、主な宵宮十九ヶ所を探検取材してまとめた「よみや見探図」などを作り、「もっと弘前のことを知って、楽しもう」とアピールしてきた。

 四人にはそれぞれもう一つの顔がある。今さんは「北の四重奏」のメンバーとしてアルトサックスを奏でる。きゃしゃな体からは想像できないパワーの持ち主だ。「目立つのがキライなタイプだったのに、いつの間に」と笑うが、夫でテナーサックス奏者の今廣志さんは「北の四重奏」の良きパートナーでもある。

 須藤さんは輪島塗で有名な石川県輪島市の生まれ。漆の勉強のため、輪島にやってきた漆芸家の須藤賢一さんと恋に落ち、八六年に弘前にやって来た。「恋に落ち?きれいにいえばね」。弘前がこうだったらいいのにという思いを込め、ひろさき創生塾に応募した。今は保育士として働く。

 竹内さんは元看護師さん。明治時代から続く「竹与商店」を十三年前、しゅうとめの麗子さんから引き継いだ。「青森の良さを県外の人に伝えたい。弘前にはいっぱいいいものがあるのに、ここに住んでいる人も知らないよね」

 行方さんは弘前市末広にある学習情報館で子育てを支援するキッズネットクラスや小学生の親子を対象とした講座などを担当している。昨年結婚した妻の直子さんも活動には協力的。「いずれは直子さんも巻き込みたい。巻き込まれると思うよ」とメンバーは手ぐすねを引く。

 そんな四人が今作製しているのが「ギャラリーネットワークひろさき」のロードマップ。「市内にあるギャラリーや展示室を見てまわりませんか?」という提案だ。ギャラリーを一軒一軒訪ね歩き、お薦め散歩コースも載せる。今日は仕事で欠席のメンバー山内由香さん(30)の描いたギャラリーのおしゃれなイラストもマップに登場する予定だ。請うご期待。

 七月中の完成を目指し、作業を進めるメンバーたち。マップ完成後は「弘前の楽しさ」を伝えるため、また新たなテーマを見つけて活動を進めるつもりだ。



ともだち・友達 平成15年9月13日掲載
「前川の建物に引かれ 市民への魅力アピール」


葛西 ひろみさん 斎藤 由香さん

 黒塗りの門を持つ屋敷が立ち並び、しっとりとしたたずまいを残す弘前市在府町。その一角に真っ白な洋風の外観を持つ「木村産業研究所」がある。

 光にあふれる吹き抜けの玄関、モダンなガラスのドア、床タイルの青い縁取り。近代建築家として世界に名を残した前川國男が、初めて手掛けたのがこの建物だ。

 しょうしゃなこの白亜の建物に魅せられたのが葛西ひろみさんと斎藤由香さん。前川國男に心酔し、「前川國男の建物を大切にする会」を立ち上げた。

 「二階のこのガラスが好き。窓のロックは当時のまま。すごいでしょう」と葛西さん。「この階段の空間がいい。壁が柔らかく湾曲していて、優しい曲線」と斎藤さん。二人は、前川國男が作り上げた空間の美しさに心引かれたという。

 葛西さんと斎藤さんは生け花を通して知り合った。「生け花は空間充実のためのもの」と考える二人は、自由に花と空間を楽しむグループ「花空間」を作り、弘前工芸協会の作品展で会員の制作した陶芸やブナコを作って花を飾ってきた。

 「由香ちゃんは美的なものをシェアできる人です」と葛西さんは斎藤さんの感性にほれ込む。バリバリと機関銃のように早口でしゃべる葛西さんの対し、ゆったりともの静かな雰囲気の斎藤さん。二人の共通点は空間に対する美意識だ。

 前川國男に関心をもったそもそもの発端は、葛西さんが中三弘前店で開かれた建築フォーラムを聞いたことに始まる。前川と共に働き、弘前斎場などの建設に関わった建築家仲邑孔一さんが話す前川の建築に傾ける思いに共感し、夢中になった葛西さんは、前川の処女作品である木村産業研究所の存在をたくさんの市民にアピールしたいと考え、熱い思いを斎藤さんにぶつけた。

 葛西さんはニューヨークに行っても建物を見て歩くという女性。建物の話をする時の葛西さんの目のきらきらには圧倒される。「その場に行って空間を感じるのが好き。空間に自分を置いた時、建物が過ごしたそれまでの時間とオーバーラップします」

 葛西さんが一緒に活動してほしいと白羽の矢を立てた斎藤さんは、築九十年経つという家で華道を教えている。「冬は天然冷蔵庫といわれる家に住んでいます。だからこそ古いものを大切にしたいという思いがあります」と斎藤さん。

 そんな二人が木村産業研究所の存在を知って欲しいと昨年の十月に開催したのが仲邑さんを招いてのスライド講演会だった。「誰も来なかったらどうしよう」。不安をよそに、研究所の床が抜けるのではないかと心配されるほど人が集まった。

 「こんなにたくさんの市民が前川の建築に興味があると分かってうれしかったです」。二人は会場となった研究所のあちこちに野趣あふれる花を飾り、聴衆を迎えた。

 今年の十月十九日には、弘前に残る前川の八つの建築を仲邑さんのガイドで巡るバスツアーを企画している。「建物はあっという間になくなる。いいものを残していくにはエネルギーが必要。たくさんの人に建物を見てもらいたい」と二人。

 「いつか木村産業研究所で花展を開いてみたい」、「光のあふれるこの空間には伸び伸びとした花が似合う」。今はひっそりとたたずむ前川の遺産。たくさんの市民が集い、この建物を喜ばせるのが二人の夢だ。



ともだち・友達 平成15年12月20日掲載
「大声でストレス解消 詩吟は精神の安定剤」

今 岳総さん 山田 玲山さん 千田松風さん 桑田蘭風さん 越前洋山さん

 「われと来て遊べや親のない雀」
「ふるさとの山に向かひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」弘前市五十石町の勤労青少年ホームの和室に、詩吟を吟ずる大きな声が響き渡る。

 「めったになぐうまいな」「あんたなりによし!」。次々と詩吟を披露してゆくメンバー。指導者の今岳総(76)が、生徒一人ひとりに声を掛けてゆく。

 私も皆と一緒に声を出してみた。「ふるさとの〜お〜お〜」。コンダクターが指揮をするように、指で節回しの調子を取る今さん。いっぱいに空気を吸ったつもりでも、最後まで息が続かない。「おなかから声を出すこと。詩吟の腹式呼吸が若返りの秘訣です。血の中に酸素がいっぱい入って、血がさらさらになりますよ」と今さん。さらさらの血は魅力的だ。

 しかも詩吟は精神安定に役立つらしい。「詩吟はミの音で始まる。このミの音が精神の浄化にいい。心が落ち着き、大声を出してストレス解消になります」。いいことだらけだ。

 今さんが詩吟を始めて三十年になる。「若い時、上の学校に行きたくても行けない家だったから、今勉強したいと思っているの。何か一つ死ぬまで続けられるものを持ちたいね」。そんな今さんの誠実な人柄を慕い、生徒たちが集まってくる。

 「堂々と歌う気持ち良さはないですね」と話すのは仲間の一人、千田松風さん。「今先生の作る詩が大好き」と桑田蘭風さんは言う。今さんは独学で漢詩作りを始め、一九八〇年からは師匠について漢詩の勉強を始めた。練習の始めには必ず、今さんが作詞作曲した漢詩「弘前岳風会会詩」をみんなで声を合わせて歌う。

 「いらいらしている時でも漢詩を歌えばさっぱりするの。詩吟はいいわよ」と元気いっぱいの山田玲山さん。お孫さんの結婚式で詩吟を披露し、拍手喝采を受けて以来、詩吟にはまった。山田さんのつやつやの肌は詩吟の効果かもしれない。

 「詩吟は奥が深い先生のボランティア精神に感服してすがりついています」と越前洋山さん。

 今さんは指導料をとってはいない。今さんを始め全員が月千五百円を払い、会の運営に充てている。

 弘前岳風会は十四の教室があり、勤労青少年ホームの教室はその中の一つ。笑顔の絶えない気さくな仲間たちが集う。

 「詩吟といえば難しいと嫌う人もいるが、それは食わず嫌いというもの。かめばかむほど味が出る。それが詩吟」と今さんは話す。

 弘前で詩吟を広め、青少年に少しでも興味を持ってもらいたいというのが今さんの夢だ。

 小、中学生用の詩吟の教科書を使い、子供たちにも無料で指導を行っている。「声も出さずにパソコンのゲームに向かっている子供たちに、大きな声を出させたい。ストレス解消は詩吟がもってこい」と今さんは考えている。

 健康に良くてぼけ予防にもなる詩吟。「上手、下手に関係なく生涯学習の一つとして詩吟をやってみてほしいですね」。心と体。そのうえ美容にも良さそうな詩吟にチャレンジしてみては?


ともだち・友達 平成16年7月24日掲載
 「クチコミパワー生かし 県の魅力を全国に発信」


蒔苗 正子さん 藤村 幸子さん 長岡 るみ子さん 対馬 逸子さん

 青森市で開かれた「女性100人キッチン会議」は熱い空気に包まれていた。「県産品はアピールがへた」「ちょっとこれは甘すぎるね」。十人ずつ十テーブルに分かれた女性たちが、県産品の「初雪たけ」やリンゴのお菓子を試食しては、厳しい意見を述べ合う。

 この会議は、「女性たちのクチコミパワーを生かし、県産品を県内外に発信していきたい」と「女性1000人マーケティング研究会」が県内女性に声を掛けて実現した。

 仕掛け人である研究会のメンバーはリーダーの蒔苗正子さん(45)をはじめ元気な女性四人。営業と広報が得意分野の長岡るみ子さん(51)、経理など裏方担当の対馬逸子さん(52)ご意見番の藤村幸子さん(57)。かねてから女性のクチコミに注目していた四人は、このパワーを県産品の発掘、魅力再発見につなげたいと県の「あおもり県民政策ネットワーク」の女性事業に応募。対象に選ばれ、六月から活動を開始した。

 四人は県の「あおもり女性大学」の一期生だ。共通点は頼まれると断れない・まずは乗ってみる・何でも楽しもうという前向き上昇志向。それぞれに数種類の名刺を持ち、個々にアクションを起こしている。

 「女性の力を県民に伝えたい」と力を込める藤村さんは山形県鶴岡市の生まれ。結婚して八戸市へやって来た。三人の子育てが終わった後、「何かがしたい」とあおもり女性大学に入ったことで人生が変わった。

 個性豊かな仲間たちとの出会い。「ここをこうしたらもっと良くなるのに」という視点の獲得。今年の五月に八戸市で市民企業塾「これからセンター」を立ち上げ、スタッフも務めている。

 長岡さんは「主婦出身のフリーアナウンサーです」とにっこり。保育士として働いていたが、結婚して専業主婦になった。子育てが一段落し、実母が亡くなった後「このまま人生終わるのはいやだ」と思ったという。考えた末、中学時代に放送部で活躍したことを思い出し、放送人を育てる講座にチャレンジ。徐々に加速し、今では結婚披露宴、シンポジウム、コンサートなどどんな司会もこなす。

 「今回のキッチン会議を女性たちが何かを始めるきっかけにしてもらえたら」と期待する。

 五所川原生まれ、五所川原育ちの対馬さんは四十歳からパートで働き始めた。その傍ら「何か夢中になれるものがほしい」とあおもり女性大学へ。「みんなが得意分野を生かせばもっと何かできるはず」と思い描く。

 蒔苗さんは今、「自立したい」と切実に思っている。男女共同参画に関して学ぼうとあおもり女性大学に参加。卒業後はNPOなどさまざまな活動を経験した。その過程で、青森の女性はさまざまな力を持っていると知った。知り合った仲間たちと手を携え、仕事をするのが夢だ。

 研究会ではこれから五所川原、八戸市などで「キッチン会議」を開き、女性たちのネットワークを作り上げていく。「起業や就職など何かにチャレンジしたいと考えている女性たちを応援できたら」。四人の夢もずんずん膨らんでいく。



夫婦つれづれ 30
ALS患者・日本ALS協会理事 熊谷 寿美さん
夫 博臣さん

平成14年10月26日掲載
「明るい妻は家族の中心 笑顔と涙の二人三脚」


  ホテルの部屋を訪ねると、にこやかな笑顔をたたえ、熊谷寿美さん(52)が迎えてくれた。黒いブーツに空色のカーディガン、耳元に揺れる真珠のピアス。首には服の色とコーディネートしたブルーのリボンが巻かれている。

 「ALS患者・家族交流会」に友情参加するため、夫の博臣さん(56)、娘の宇多子さん(27)、孫の英寿ちゃんと一緒に弘前にやって来た。

 寿美さんは二十七歳で難病中の難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)になった。顔以外の筋肉を動かすことはできない。四十一歳で人工呼吸器を付け、声を失った。吐く息と舌を遣い、言葉を伝える。いつも明るい寿美さんを囲み、熊谷家には笑いが絶えない。

 呼吸器を付けて、寿美さんはどんどん外出する。日本ALS協会理事として全国を回り、患者や家族の相談に乗る。「大変な病気だけれど、希望を持って生きてほしい。そう願うからです」。

 寿美さんはハードルの選手としてインターハイにも出場したスポーツウーマン。「二、三年の命。長くて五年」と医者から宣告された時、どんな思いだったろう。
「一歳の息子と三歳の娘がいたから、悩んでいる時間はなかった。残された時間でどれだけ子供たちと接することができるか、それだけを思っていました」

 残業が多く、子育ては寿美さんに任せっぱなし。帰宅すればテレビを見ながら料理が並ぶのを待つだけだった博臣さんだが、生活が一変した。寿美さんの発症がきっかけで、夫婦の二人三脚が始まった。

 発症して五年で歩けなくなり、次の五年で手が使えなくなり、その次の五年で息をすることができなくなった。車いすに乗った姿を見られたくなくて、友人に会いたくないと思った時期もあった。そんな寿美さんを強引に外に連れ出したのが博臣さんだった。外出先でじろじろ見る人を、小学生の宇多子さんがにらみつけた。

 「人生って不思議ですね。次から次へと困難がやってくる。でも不思議となんとかなる。どうやって次の困難を克服するか楽しみね」と笑う博臣さん。「つらいとこぼすお母さんは見たことがない。いつも笑っている」と宇多子さんは言う。

 寿美さんは熊谷家の主婦として自宅で暮らす。献立を考え、博臣さんと一緒にマーケットへ買い物に行く。長くて五年と言われたが、発病して二十五年を迎えた。ALSは二十四時間、介護が必要だ。寿美さんの命を支えているのは呼吸器であり、何より家族の愛情だろう。初めて英寿ちゃんと対面した時、寿美さんは号泣したという。

 つややかで幸せそうな寿美さんの顔。博臣さんは毎晩、化粧水と乳液をつけ、寿美さんの顔をマッサージする。「シワを伸ばす方向でね」と博臣さん。

 夫婦二人の夢は、婚約中に訪れたことのあるアメリカを再び訪ねること。「同じ場所をもう一度ドライブしたいね」と二人。

 「ALSというのを隠す人もいるけれど、みんな外に出てほしい。自分の人生を楽しんでほしい。今だから言えるけれどALSでよかった。いろんな人との素晴らしい出会いがあった」と寿美さん。こう言い切るまでには、長い年月が必要だったろう。寿美さんのひとみから二筋、涙がこぼれ落ちた。




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